私は1954年(昭和29年)名古屋に生まれた。 家族は義理の祖父母と両親、そして、兄と弟と私の7人家族であった。 祖父と父は鋳物業を営んでいて20人多い時は40人くらいの人が働いていた。 戦後の日本は高度成長真っ盛りで祖父と父の会社も下請けながらなんとか続いていた。 中学校を卒業したての人たちが地方から集団就職で名古屋にもやってきた。...
23日 9月 2020
小さな子どもは大好きな親に対するが想いが強いので、何でも大げさに見えしまう。 特に両親への想いは強く、なんでも誇張して見る。 母親が何かで泣いていたら、それを見た子どもは自分の世界をすべて涙に変えてしまうくらい悲しむ。 母親が世界で一番かわいそうだと思う。 それがそれほど大したことがないかもしれないのにオーバーに感じてしまう。...
17日 9月 2020
私は父親からの愛を感じて育っていない。 よって、常に周りを気を使う緊張した子どもだった。 誰にも守られていないような虚しい感覚を抱いてきた。 誰にも好かれていないという深刻な想いもあったが、私はそれを気にしないようにして明るくふるまってきた。 私の父親は5歳くらいで祖父のところに養子にきた。...
13日 9月 2020
昨年秋あたりから目が乾いていたのを気にしないようにしていたので、今年になり眼科に行き、目の炎症で視力が落ちてしまっていた。 このことで、コロナの後押しもあり、今までの仕事のあり方やり方(見え方)を変えた。 そして、今私の意識(視点)は外側から内向きになっている。 このHPでも「外の世界には何もない、内側にしか私はいない」と提唱している。...
10日 9月 2020
気に入ってよくいく店の店員さんの中に苦手な人が一人いる。 初めて会った時から苦手で何回行っても嫌な気持ちになる。 いろいろな態度を試してみたが彼女は変わらず私の受ける嫌な印象は変わらない。 まあ、彼女はどこか私に似ているのかもしれない。...
07日 9月 2020
このことが最後の関所だろうと思っている。 これが終わると私の仕事は始まることになる。 今まで、思い切り自分の思う通りに生きてきたつもりだった。 この件については、このブログで何度も話してきているが、3.11後、私は覚醒したつもりになっていたが、しかし、光ばかりを追い求めてきたせいで、クライアントを通して自分の闇と向き合うことになった。...
01日 9月 2020
できないことはできるようにしなければいけない。 できないことをそのままにしておいてはいけない。 努力しないとダメだ。 やれるまで頑張るんだ。 しかし、、、できないことや苦手なことはどんなにがんばってもうまくいかない。 長続きはしない。 そして、悲しいかな毎回自分に失望をする。...