私が一人暮らしの母の実家に来て以来、今まで止まっていた家・先祖のエネルギー動き始めている。
先祖の浄化と共に家の中の浄化も行っている。
しかし、 そのことでいろいろトラブルが起こる。
問題は私と母の波動が違い過ぎることが原因となっている。
♥水道管の問題
母は水漏れを放置していた。
私はそれを見るに見かねてある業者に見積もりを頼んだ。
業者はすぐに駆け付けるというので、見積もりが高いならやめようと思っていた。
私はどうしても買い出しいかなければならない。
母の家のことだし、母が家に居るというので、後は母に任せることにした。
「高額ならやめて私に電話してね」と告げ、買い出しのために家を出た。
それがそもそも間違いだった。
電話してねと言っていたせいか、母はその業者に20万円もかかると言われたと電話してきた。
母はお願いすると言う。
ちょっと待って、私は電話で業者にNOと言ったのにも関わらず・・・
母は業者に16万円と安くなったと思い、その場で工事をお願いしてしまった。
胸騒ぎを感じた私は急いで母宅に戻ると、なんと大がかりな工事になっていた。
よくわかっていないのに業者に16万円も支払うなんてと私は業者にきちんとした説明を求めた。
業者との話し合いの中、すべての問題は母がハイと言ってサインしたことが問題だとわかった。
母は業者に赤さびだ、古い、破裂するかもと言われ、NOと言えなかったのだ。
古い頭の彼女は男性優位主義で自分の考えを持たない。
すぐに力のある人に従う。
テレビの言うことを信じている。
もともとの優柔不断の性格と年齢(多少の物忘れ)と重なって、今回のような問題が浮かび上がった。
幼い頃から、コロコロ変わる母の言動にふりまわされながら育った私は正確さを求め、超真面目、超厳しい性格になった。
ぼーっとした子どもではなかった。
修理をさせるために誘導した業者とそれに乗った母に怒りながら、
業者にこの金額では納得できないと談判した。
私が怒っているそばで、母はその金額は払えるからいいと言って聞かない。
騙されているのにと思うそばで、どんどんと工事が進んでいる。
これでは、ニッチもサッチもいかない。
そこで、気を静め宇宙にこの金額がもっと下がるようにお願いした。
そして、みなにとってすべてがいいように終わりますようにと祈った。
しばらくすると、話し合いの中、業者が折れ始めた。
母は認知症が始まっている、それで、サインをしてしまったと言った私の言葉を受け入れ始めたのだ。
さらに、水道局と消費生活センターへの連絡をしようとしているのを敏感に察したこともあり、業者は金額をさらに下げてきた。
結果、私が決めていた金額まで下がった。
(宇宙に祈ったおかげか、かなり下げることができた )
彼らは損しないだろう金額で、さらに、私の精神的にいっぱいいっぱいだったので、それで手を打った。
工事後、水が漏れなくなったということがうれしいせいかいそいそと夕飯準備に取りかかる母。
反対に、業者との言い合いでどっと疲れ果て体の調子が悪くなった私。
食事などすぐにできるはずがない。
これが母と私のはっきりとした違いだ。
私たち親子はずーっとこの繰り返しだった。
夜、眠れない中、はじめから何もお節介しないで、業者に高く吹っ掛けられても母に任しておけば良かった。
それが母が信じて生きる世界なのだ。
権力者や強い男性の言うことを優先させ、テレビで何かを買わせるように洗脳され、時には騙されてもいいのかもしれない。
怒りまくる私に母はこんな調子で私は90歳近くまで生きたんだ・・・今さら変えられない。
今は幸せ~、誰にも気を使わないで好きに生きてるからと。
私は母のように虐げられてきた女性の解放、女性の価値の向上に向き合ってきたが、
権力社会でもOK な母、まあ、ある意味、あっぱれである。
♥生きる世界が違う
生まれた時から母が虐げられている状況を見ながら育った。
何とか助けようと私は母の親のように擁護してきた。
しかし、その割に母からは当たり前のように扱われた。
実家では女性の身分が低く、まして、自分の娘は自分のもの扱いという意識ゆえにそうなってしまう。
それゆえに、私は娘たちは互いに一人の魂同士としてつきあっている。
考えてみると、母の親(保護者)をやめることで、私は母との依存関係が続いてきた。
今回の実家での滞在により、やっとこの関係がはっきりと認識され、この取り扱い方がわかってきた。
つまり、依存関係は解消されたのである。
それは3次元世界(人・物)のつき合い方につながる。
★アセンションを前に実家に戻り母との依存関係を終えたことで、私は自分が理想とする女性像を生きていくことになった。
♥先祖の女性たちの願い
女が男の下ではなく、男や権威に従うのではなく、自分を優先させて生きていく。
女も男も、ただできることが違うだけで同じ魂存在である。
自分の子どもは自分のものではない。
子どもでも老人でも互いに尊重し合って生きる。
これらが私に課せられた人生の課題であった。
このような事件から母は絶対に変わることがない、それゆえに、どうしても、私は変わることになっているのだ。
・・・母の存在は私が変革するという、ありがたい存在でもある。
とカフェでここまで書いたその時、またまた大音量で
♪ありのままで、姿見せるのよ~
ありのままの自分になるの~
何も怖くない風よ吹け~
少しも寒くないわ~♪
と聞こえてきた。
そうね、私は周りの人(男性・権力者)に迎合せず、ありのままで生きていくわ!