♥母の加齢臭
母への憎しみのしこりがとけはじめ、私は母の近くにいられるようになった。
すると今まで気づかなかった母の加齢臭が突然におうようになった。
これが母の加齢臭なんだ。
これが彼女の匂いなんだ。
臭いけど・・・なんか嫌じゃない。
そうだ、彼女にはフレグランスがいる。
似合う匂いを探してみよう。
母の年代の日本女性はあまり香水をつけないが、欧米では当たり前につけている。
まるで、服を着るのと同じように。
湿気の高い日本では香水の香りが強く感じるせいかな。
とにかくナチュラルな製法の香りをプレゼントすることにしよう。
★おもしろい、心身で人に近づかないとその人の匂いさえ分からないものなんだ。
私の嗅覚は急に働き始めたようだ。
私は娘たちとはかなり長い間スキンシップを欠かさなかった。
私の匂いは娘たちにとってあるフレグランスの匂いらしい。
いくつになってもフレグランスは楽しみたいものだ。
♥宇宙人の私がやっと人間になって
今まで少し体から外に出て浮き気味だった私は2020年暮れに病になったことで、人間の体について学び始めている。
体ってふしぎなものだ。
今回、実家において、母の生き方を観察しながら、これが人間なんだなあと学んでいる。
ADHGっぽくて高齢の母は何があってもほとんど気にしない。
何を買ってあったか忘れ、
同じものをたくさん買ったり、
捨てたと思っていたものが(15以上ある)洗濯ネットから出てきたり、
押し入れに入っている同じような物、物、物。
彼女は戦中戦後の物のない時代、物質主義を影響を受けている。
物が財産という観念、これがこの時代の人達に多い傾向である。
物を捨てるのがもったいないからと、物で部屋の整理整頓がしずらくなっている。
そのことに怒りながらも、今の私は母を憎めないでいる。
私がここにいる間、少しでも住みやすい環境にしてみたいが、なかなか(服も含め)物を捨てる許可が母から出ない。
♥高齢者の生き方の実態
この地域は決して貧しい環境ではなかった。
しかし、この10年くらいどんどんと店が亡くなった。
一軒家ばかりであるが、どの道を通っても人が歩いていない。
バス停にも人がいない。
店がないことで、買い物が不便になって、遠くに行かないいけない。
まだ、車に乗って遠くに買い出しに行ける高齢者はいいが、
足が動く高齢者もバスには乗れる。
しかし、自力で動けない高齢者は身内か誰かに頼るしかない。
ところが、若者はそういう不便なところに住みたがらない。
結局、かつて頑張って働いて買った一軒家を売り、町や老人ホームへ行くためにそこを離れていく高齢者は少なくない。
こうして若者は離れ、高齢者ばかりになり、やがて、過疎になって誰も住まなくなるだろう。
こんな光景を目の当たりにして、東京や札幌の街中に住んできた私はあらためて驚いている。
どっしりとした一軒家がひっそりとして見える。
♥高齢者の死生観から、今の時代いかに生きるかを考える
高齢者を観ているとまるで死ぬのを待っているかにのようだ。
巨大スーパーで、ずーっと座っている老人たち、日がな時間をつぶしている。
何の意欲もなく。
それも幸せというのだろうか?
来年90歳になる母の場合は、まだまだ何かを見たい食べたい知りたいという欲求が強い。
愛知県長久手にオープンしたジブリパークに一人でも行きたいと言っている。
このような老人は生きることそのものを楽しめる。
★しかし、私が目指す世界観はそのどちらでもない。
♥私の宇宙である5次元世界をどうクリエイトしていくか?
母とこの地域の周りの老人を観察しながら、私は新しい人の生き方をあらためて見直している。
私もまた、どんどん老人になっていく、そして、あなたもである。
老化するということ、老成していくということ、それは自己受容であり、哲学であり、愛でもある。
まずは、自分優先、自分軸で生きる。
本心と向き合い、自分を隠さない。
できないことはできないと認める。
人と比較しない。
今の自分を丸ごと受け入れる。
同じ価値観の人とつきあう。
互いの違いを認め合う。
老いも若きもできることをやり、できないことをやってもらって、助け合う。
みんなで子どもを育てていく。
老いも若きも共存できる広い心でいる。
そして、何と言ってもいくつになっても美意識のある生活を目指していこう!
地上の楽園を作るために・・・
今の深刻な人口減少、厳しい経済状況、老人問題、子どもたちの未来を見据えながら、この実現は急がれる。