やっと、年老いた母の娘になれた日

今の私は近くに居る母や兄たちの世界が遠くに感じる。

まるで、透明なカプセルで包まれているのを外から眺めている感覚だ。

その中に入ろうとすると私はイライラし彼らは混乱する。

 

兄と母と関係を私は改善したいと、いろいろアドバイスしても、彼らの世界はそれで成り立っている。

兄が騒いでも、結局、おさまっている。

母に新しいあり方をいろいろ試してみたらと力説しても、結局、できない。

彼らは古臭い縦社会による確執の世界から出ることはない。

むしろ私の方が彼らをかき回しているようだ。

なんかここに来て、とても寂しい満たされない気持ちがあった。

ところが、その悲しい想いが払拭したようなことが起こった。

 

 

♥牡牛座満月(皆既月食)の11月8日の夜中の3時過ぎ・・・それは起こった。

眠っていた私は朝の3時過ぎに目が覚め、自分の目がどんどん見えなくなるような感じになり、ひとりで耐えられなくなり、母を起こした。

怖い!!!と泣いて取り乱した。

今まで周りに迷惑をかけまいと一人で耐えてきたこともあり、まして、母に甘えたことなどなかった私は、この頃弱音を吐くようになり、特に実家に来てからは泣いたり怒ったりの日々を送っていた。

それでも、ここまで赤裸々らに母の前で子どものように大きな声で泣きじゃくったことがなかった。

 

母は私の病(糖尿病)を気の毒に思い、そうだよね、ほんと辛いねと、、、私の体をさすりはじめた。

このスキンシップは遠い昔にあったのだろうか、はじめてのような感覚、、、それはとても気持ちがいい。

私のささくれだった心は次第に潤っていった。

小さくなった母は自分の命を神様・仏様に差し出して、私と変わりたいとも言ってくれた。

 

その時、かなり落ち込んでいる私は母にもう辛いから死にたい、一緒に死んでくれる?」と泣いて迫った。

すると、母はひるまず、うん、一緒に死ぬよ、死んでいいよと言ってくれた。

それは本当にそう思っているのがわかった。

母が一緒に死んでくれるということがわかり、私はほっとした。

さらに、母は続けた、ミサエなら、、、絶対にここから立ち上がっていくと信じてもいる。

今までそうだったから信じている。

とにかく、この家でゆっくりして休んでほしいと言った。

 

私は4歳の時、子どもでいることがやめようと誓った。

なぜなら、義祖母が私の兄弟と差別し、女の子の私をいじめ始めたからだ。

当時の母は18歳で嫁に来て20歳そこそこで世間知らず、親になれなかったのだ。

私は病気になっては叱られ、階段から落ちたと叱られ、可愛くないといびられ、怖い祖母におびえていたために、私はかなり緊張した人間に育った。

このことで、心底両親を信じることができなかったし、このことをとても恨んでいたのだ。

 

 

♥瀬織津姫様

実はこの前日、私は幼い頃から親しんでいた熱田神宮に3年ぶりに参拝した。

今回は呼ばれた感があり、特に熱田神宮の一之御前神社が気になった。

この神社は2012年まで参拝が一般に許されなかった。

そして、スピリチュアルの情報では瀬織津姫がおいでになると言う。

神社は奥まったところにあり、熱田神宮の中では初めての参拝となった。

あたりはとても新鮮で、そして、凛とした厳かなエネルギーに満ち満ちていた。

後からネットでこの神社に瀬織津姫様がおいでになることを知り、さすが・・・と感じた。

御祭神は天照大神の荒魂という。

まあ、それはパワフルなはずである。

このアセンション時期に、ふさわしい参拝になった。

 

 

そんな素晴らしい体感をした私は、その夜中に爆発したのだ。

この牡牛座満月のパワーか、瀬織津姫のパワー を受けたのか原因か、私は今までにはない細胞レベルの恐怖が表面に出て来て、母に甘えて泣き叫んだ。

 

そして、、、怖いはずの私は、母に甘えて泣いたことで、とても安からな気持ちになった。

母がいてくれるなら、この病を乗り越えていかれるかもという気持ちにもなれた。

思えば、私はずーっと孤独だった。

まるで、地球の迷子のような気分だった。

 

病になったことで体を意識して人間になり、そして、やっと母の娘となり、私は再誕生したようだ。 

私のアセンションというのは、愛されている娘(人間)になることから始まるのだ。

 

★この11月8日は私たち(89歳の)母と(68歳の)娘にとって、忘れられないすごい日となった。

たとえ、母の記憶がどんどん薄れていっている今、私はこの日を決して忘れないだろう。