場を乱すから、相手に気を使って自分が本当に思っていることを言わない。
相手に迷惑だから、
我がままだから、
本当に言いたいことを我慢する。
この結果、自分にも相手にもよいことにならない。
これを実証するために何度か実験したことがある。
♥実験(一番好きなものを選ぶ)
一つ一つ違う種類のケーキを8個買ってくる。
7人のクライアントに8個のケーキの中から一番好きなケーキを次々と選んでもらう。
選ぶ条件はその人が絶対に一番食べたいケーキであることだ。
それぞれに一番好きなケーキを順番に選んでもらう。
大きいとか高そうとかで選ばず、とにかく、その時に一番食べたいケーキを選んでもらう。
実験開始、まず7人の中のひとりを選んで、あなたが一番好きなケーキを選んでくださいと言う。
他のクライアントにもケーキを順番に選んでもらう。
最後にケーキが一つ残る。
それは私の分である。
私が一番食べたいケーキが残っているはずだ。
これはとても面白い実験である。
人数を変えたり選ぶお菓子を変えたりしていろいろなところでやってみた。
この結果、クライアントたちが一番好きなケーキを選んだなら、見事に私が食べたいケーキが一つ残る。
参加者全員が一番好きなケーキを食べることになる。
つまり、全員がハッピーになるということだ。
一度この体験をすると魔法がかかったような感覚になる。
しかし、この中のうちの誰か1人でも遠慮して2番目に好きなケーキを選んだなら、最後に残ったケーキは私が一番に食べたいケーキではない。
そして、メンバーは好きなケーキにありつけず、気分が下がり場が流れが乱れてしまう。
♥この実験が成功しない人のタイプ
そのタイプとは周りの人に遠慮して自分の好きなものを我慢する人である。
母親のようなタイプは我慢が美徳として育ったので、何が食べたい?と聞いても、必ず、「何でもいい」と言う。
本当には食べたいものがあってもだ。
彼女は我慢することは大事なことだ思っている。
このようにただのケーキの選択だが、この実験にはその人のあり方・生き方が現れるのである。
自分軸でいようという集まりの場に、他人軸で行動している人が来ると場が乱れてしまう。
私もまたかつて他人軸であったので、自分軸でいつも本音を語るようにしている。
おかげさまで最近は、周りの人に自分の本音を抑えることができなくなっている。
特に風の時代に入りそうなってきている。
風の時代はさわやかに軽やかに生きる時代であるので重さは邪魔になる。
♥ヨーロッパから日本に帰って一番驚いた
カフェなどで主婦たちのグループが最後に自分の手土産を交換し合っている光景を見た時だ。
よく見るとグループ全員、誰一人残らずその場に何か持ってきている。
5人いると5人分、つまり、その場で25回の手土産が交換される。
この光景はなかなか目立つ行為だ。
どこか旅行に行った時の手土産を持ってきている様子。
もちろん、人からのもらいものを差し出すこともあるのだろうが、、、日本に帰国したばかりだったのか奇異に見えた。
私の母親も常にもっらたら必ず半返しを心がけている。
旅行に行った時、必ず近所の人の分を買う母親の姿を見て、近所の人がその品を好きなのかどうかわからないのに、相手に失礼ではないかと感じてしまう私にはとてもできない行為だ。
しかも、半返しという芸当ができない。
そんな気遣いをする人とのつき合いに私は疲れてしまう。
まあ、その人たちはそれで成り立っていて、私の方が異端なのかもしれない。
♥私にはできない
何も気を使わず、相手から何をもらってもよくて、返すものがなくてもいい関係でありたい。
もし何かを返してほしい人は私を避けたらいい。
つきあう人は私との会話を楽しんでもらえたらいいのだ。
手土産より私に会いたいという人とつきあいたい。
これは感覚の問題なので、わからない人にはわからないことだろう。
★これからは自分の波動に近い人とつきあう時代になるので自分を無理させなくてもいい。
生きる時間には限りがある。
残されている生きる時間、私は誰にも遠慮しないで生きていくのだ!