体の問題もあるが、この10月に11年間分の物を捨て命がけでコンフォートゾーンを出た。
そこから気に入った住まいが見つからず実家に来た。
これも何かの導きである。
♥高齢になった母親はただ自分の世界を生きているだけだった
この発見はかなりの衝撃だった。
私は子どもの頃から母親のいい加減さや本音を言わないことにイライラして育った。
母親に超批判的であった。
そして、両親を反面教師にして、彼らをバネにして生きのびてきた。
今回、先祖のカルマについて、アセンションの学びの中、何年かぶりで実家に帰ることになった。
都合上どうしても母親のところに戻ることになったのだ。
実家に住み始めて、さらにいい加減になった母親、好きなことだけしている。
いろんなところが汚れていたり、壊れていても気にしなくなっていた。
90歳近いからそれはしかたのないことだが母親の実態を見て心配になりいろいろとお節介をやいた。
しかし、母親にとっては私はいつまでも娘だから、親の言うことを聞くのが当たり前と思っている。
それなのに、いちいちこうした方がいいと言う私をうるさく思う。
私は私で娘である前に魂として生きている。
私の方が母親よりよくわかっていると思っている。
結果、母親は何も変えず、また、うるさく私が言う。
この繰り返しは過去から続いている。
しかし、見方を変えると滑稽で平和である。
過去から今まで何も変わらない。(笑)
♥母親と他人の距離を取る。
目下のテーマは母親への執着から自分を取り戻すことだ。
私たちの関係を俯瞰して観ると、母親はめちゃくちゃなあり方でもそれで生き抜いてきたのだ。
娘でもない、親でもない、身内という枠を超えると、みんな違ってみんないいとなる。
ここまでくると、母親のどうでもいい感じが赦せてくる。
なんでもいいとなる。
さらに自分のふがいなさも赦せてくる。
彼女を自由を尊重しよう。
そうなると、母親なりの私への気遣いだけが残る。
実家に居させてくれるだけで感謝という気持ちになる。
着かず離れずという穏やかな関係になったことで、私の気分は良くなった。
☆子どもというのは母親を恨んでいても、結局、母親を深く愛しているんですね。
♥母親のところに来た理由
それはコミニティーホテルを作るための基礎的な人との距離を学ぶためだった。
日本にはまだ家族とは?親とは?子とは?女とは?男とはこうあるべきという刷り込みがある。
私が育った昭和20・30年代の家制度の名残りとしての親・子・親せき、実家のつながりはまだまだ強かった。
他人より断然、身内優先だった。
私の中にも刷り込まれた娘の責任感みたいなものがある。
それゆえに身内という近くて強い結束のもと、親子・嫁姑・兄弟姉妹・いとこなど中に確執や競争が起こる。
他人なら、なんともないことが、身内ということで怒りが倍増する。
そこで、いかに人とつきあうか?がわかる。
☆コミニティーホテルは、身内のように他人とつきあう。
そして、他人のように身内とつきあう、がベースの考えになる。
★今回、私は母親を通して高齢者が最期までいかに生き死ぬかを学んでいる。
今後、高齢者が増えていく時代、最期まで人は人生をいかに生きいかに死んでいくか?
この部分がかなりクローズアップされていくだろう。
その時、スピリチュアルなアプローチはより強く求められいくと確信している。
☆さあ、5次元意識の私は人との居心地の良い関係をクリエイトしていくことに専念していこう!