私にとってのたまらない豊かさ

私にとってのたまらない豊かさとは?

以前にブログでも書いているように、私のコミニティーホテルのイメージだ。

 

 

星がキラキラと輝く夜のひととき

老いも若きも自由に広場に集まり、

それぞれに好きに

語り合ったり、

笑ったり、

踊ったりして楽しむ。

みんなただただ楽しんでいる。

 

私にとっての豊かさとは、

そのような情景を見ること、そこに、参加することだ。

 

それにしても、なんと豊かで贅沢な時間だろうか。

この光景を思うと今でもうっとりする。

これこそ至福の時間である。

そこに、年齢も、性別も、仕事も、お金も、成功も何も関係がない。

そんなことはちっぽけなことだ。

 

 

かつて長女とスペイン・バルセロナとモロッコ・マラケシュの旅で、

ある晩のバルセロナの広場での光景である。

彼らは年齢も仕事もお金があるとかないとか、まったく関係がない。

どちらかというと庶民だ。

 

そして、まずは、その場の共有を尊重している様子。

その場と時間と他の人のことも含めて大切にしているのだ。

誰もそこに不安なものや状況を持ち込まない。

それは暗黙の了解のようだ。

 

誰でもみんなそこに居ていい。

みんな違って、みんないい。

 

私はヨーロッパの生活の中で人々が楽しむ時間をとても大切にしていることに感銘を受けてきた。

 

そして、何と言っても、そこには子どもが居ないのだ。

子どもは早く寝かせて、大人の時間を楽しんでいる。

少なくともオランダやフランスやドイツはそうだった。

大人の時間と子どもの時間がはっきりとわかれていたのだ。

 

私が家族と一緒にヨーロッパに渡った1986年当時、日本はバブル崩壊前くらいだった。

経済力は世界でも群を抜いていた時、日本からたくさんの日本企業が進出していた。

日本ではお金や仕事が優先されていた時代。

金・金・金、どんだけ儲けがでたかが大事なことだった。

当然、企業戦士の夫たちは家には早く帰れない。

家族は父親不在になった。

それが豊かでないことは明白だ。

たとえ、経済的に日本が世界一でもだ。

 

 

はじめて住んだオランダでは、みな定時夕方午後5時で帰るのが当たり前。

午後4時50分くらいからみんなで会社を出る準備をしている。

今から何をしようかな?思っているのか、とても楽しそうだった。

そこから、パーティーやコンサート、サッカー試合をテレビで見るなど、いろいろ始まるのだ。

特に金曜日の夜は特別である。

また、パーティーといっても気さくでチーズとハムを用意するくらい。

そこに誰かの差し入れのワインなどあればOKだ。

当時の日本のおもてなし感覚とは大違い、私はとても気楽だった。

とにかく、彼らは時間を楽しんでいた。

どちらの国の人が幸せなんだろうか?と何度も思った。

 

 

この豊かさのイメージが2014年?バルセロナの夜に集結されていた。

私は人々が集まる豊かで幸せな空間を作りたいのだ!

それが実現させたいコミニティーホテルだ。

生まれる前に約束してきた仲間たちも、きっとこんな夜を、、、求めているのだろうか。

 

そうだ、今日は9.11の日だった。

切に平和を願う日だ。