母親役、娘役が完結する時、娘編①甘えたい

♥なぜ一緒に住むのか?

前回の母親役からの卒業についてはさらっと書くことができた。

しかし、この娘役からの卒業にはなかなかの時間がかかっている。

今回、私のコンフォートゾーンからの脱出(10月)するにあたり、

都合上、私はどうしても母親といっとき、一緒に住むことになっている。

安心しながらも、とても複雑な気持ちになった。

この気持ちが案外、、、深刻なことがわかってきた。

 

♥自分の甘えたい気持ちを見るために母親のところに行く?

この3次元世界のマトリックスから抜けていくにあたり、私はアセンションではなく、反対に、デセンションを体験した。

あんなに軽やかな光の世界に居たのに、それとは、真反対の闇の中にどっぷりと浸かり私はどん底に落ちた。

それ以来、私はダメな人間になった。

直観と繋がれず、自分に力を感じなくなり、自信を失った。

虚しく絶望的で悲しかった。

こんな気持ちは生まれて初めてのことだった。

私は死ぬことを何度も考えた。

自分のダメさをたっぷりと味わった。

私は高次のメッセージを伝えるような人間にふさわしくないと仕事もできなくなっていった。

つまり、人間として弱い自分を思う存分味わったのだ。

陰と陽なら、私の陰の部分だ。

それまで私は陽の部分だけにフォーカスしていた。

闇を味わい、あ~これが普通の人間なんだと思った。

 

さらに、ダメな自分になったことで、私は「母親に切に甘えたかった」という本音中の本音の感情が浮かび上がってきた。

今まで抑えに抑えていた感情である。

私は今まで何度も母親に本音を伝えてきたつもりだったが、甘えたいとは一度も言ってこなかった。

ダメな自分になってからこそ気づけた想いだ。

かつて母親との共依存から抜けたくて、母親から離れたつもりだった。

結婚し、子育てをして、離婚し、そして、ひとり自立して生きてきた。

共依存について、たくさん学んできたつもりだった。 

しかしである。

この度、再度この甘えを見るために、母親のところに戻ることになるのだ。

 

 

♥しかし、母親のところに行きたくない

幼い頃から私と母親は何から何まで合わない。

食べること、話すこと、好み、シンプルなことまでまったく合わない。

笑うところも全く違う。

母親が良しとするものは私には嫌なことになる。

 

ここまでブログ書いていると・・・

今まで聞いたことのない、女の子の叫び声、泣いているようだ。

この声はどんどん大きい声になり、もうこのブログを書いていられないくらい、絶叫している。

これは児童虐待だ。

欧米なら親は警察に連れて行かれるくらいものだ。

しかしながら、これは現実なのか、やはり仮想現実、マトリックスかもしれない。

そうだ、私はあの頃、母親に守られず祖母に苛め抜かれて、本当はあのようにおかあちゃん、助けて(甘えたい)~~~と叫びたかったのだ。

それを思うと、その泣き声は静かになった。

 

あの女の子の叫び声こそ、幼くて弱い私の誰かに甘えたい、助けてほしいという、私の心の底からの叫び声だったのだ。

今回弱い自分になったことで、この想いをやっと抱きしめることができた。

 

★次回、娘役の終わり、、、依存はアセンションのための重要ポイントだったについて語る予定である。