スピリチュアル的にだけではなく、現実的に人間関係特に母娘の関係についてのエキスパートだと思うくらいのめり込んできた。
大げさに言えば68年間の人生をかけてテーマにしてきた。
身内は関係を終えるとただ知り合い程度になる。
私の場合、母親役が終わったったことで、とてもスッキリとしている。
何も残っていない。
子どもたちとの思い出はたくさんあるがそれに浸ることもあまりない。
今後、娘たちに会っても会わなくても良いくらいになっている。
私が死んでも生きても大丈夫みたいな状態だ。
気持ちが軽く、むしろ、さわやかである。
決して嫌いとか好きとかそういう感情はなく、なんというか私には重たいものがない。
もっと言ってしまうと、隣の知らないおじさんも娘たちもそんなに変わらないのかもしれない。
人類愛なのだ。
娘たちは個人を尊重するヨーロッパで育ったと言うのもあるのかもしれない。
彼女たちもあっさりと自立している。
しかしながら、私はもともとは依存させる派の親だった。
どちらかというと情愛が強く、娘たちを守りぬく想いでいっぱいの母親だった。
だから、この境地まで来るのに時間がかかった。
特に次女を甘やかせてきたので彼女との縁が離れるには身が引き裂かれる想いだった。
それが今こんなにあっさりとさわやかな気持ちになるのだ。
情けの強い親には信じられないことかもしれない。
身内は大事な他人と同じくらいになった。
今までも娘たちにこうあってほしいと思ったことはない。
とても信頼しているので、どこに行っても何をしてもOKだった。
長女の行動はとにかくワールドワイド、興味を持ったら世界のどこにでも行ってしまう。
今の私は娘たちの存在を喜んでいるだけで、何をしているかなんて知らなくていい。
娘たちと離れたことで、これから始まる私の大事な仕事だけに集中できる。
89歳の私の母親には全く理解できないことだと言う。
むしろ私は彼女にとって、冷たい母親に見えるらしい。
しかし、いつまでも母親だと思っている母親には、私の気持ちは到底理解不能だろう。
逆に、私にとって80歳過ぎても母親をしている方が重くて辛いことだ。
さて、その反対の、、、娘役の私はどうなのだろうか?
これがなかなか奥が深くここを理解し卒業するのにかなりの時間をかけてきた。
次回、母親からの卒業、娘の役の終わり方について、語ってみたい。