自分をあきらめる

前回のブログで「おかあちゃんにとても甘えかった」という願望が私の心の底にあり、夢の中にその想いが浮上してきたことを書いた。

 

その夢を見た夜、89歳でまだ元気に生きている母親と電話で話した。

 

生きているうちに、この夢の話をしないといけないと思ったからだ。

 

しかし、またいつものように話はすれ違っていき、母親が切れて電話を切ってしまった。

 

私たちは激しい。

 

激しく言い合いになり、絶対に互いを認めない。

 

私は理想の道の話をし、母親はそれでも自分はこれでいい、自分の道を行くから・・・となり決別する。

 

この数年は特にこの繰り返しであった。

 

お互いに頑固である。

 

しかし、私が病になり本音しか言えなくなったことで、よけいひどい会話になっていた。

 

母親は私の指摘が当たっていて、それが痛くて、電話を切ってしまう。

 

それで私は再度電話してまた話す。

 

まるでこの言い合いを楽しんでいるかのように。

 

私はこうして母親に甘えていたのだ。

 

今回、この甘えたいという夢を見て、今まで母親に甘えることができなかった想いは叶えられていたとわかった。

 

そして、母親には感謝しかないと伝えた。

 

本当にこの宇宙人的な娘は、地球人の母親には育てにくかったことだろう。

 

そして、ありがたいことに、母親は私が働けるまで自分家に来て体を休めてほしいと言ってくれている。

さらに、金銭的にも助けてくれた。

 

私はこの年になり母親に申し訳ないなあ、悪いなあと、親孝行できていないと思いながらも、私は人生初、ダメダメな私を見せることができ、母親に甘えることができたのだ。

 

これは貴重な体験である。

 

病後、どうにもならない私、何もできない私、役に立たない私を情けないと思いながらも、

こんなダメな自分を母親は受け入れてくれた。

 

若い頃の私は優等生的にがんばって生きていた。

 

離婚後仕事も頑張って働いてきた。

 

今思うと、以前の私は力の入った人格だった。

 

もし、あなたが、かつての私のようにパーフェクトな自分を人に見せているなら、人生に力が入り過ぎて他人と心から打ち解け合っていないかもしれない。

 

もしあなたが、誰にも自分のダメな部分や弱い部分を見せていないなら、知り合いはいても、心から赦し合う親友がいないかもしれない。

 

 

私は病になったことで、人前で自分をパーフェクトに保てなくなった。

娘たちにも、ダメダメな母親に成り下がった。

しかし、そのことで、私はより開き直り本音の自分になっている。

 

さらに、今、自分がクリエイトしている現実を、、、俯瞰して観るようになった私は、

今までの自分のことがよくわからなくなっている。

 

自分の枠が広がっているのか、自分がどんな人間かがなくなっていっているのか、自分というものについて把握できなくなっている。

 

目の前の(思考が作った)現実から離れて観ているとリアル感がない。

 

そのことについて、、、私はとても怖くなった。

 

怖くて怖くて怖くて仕方ない。

 

この現実(マトリックス)に生きている感覚がなくなっているからだ。

 

何を見ても、どこかさめてしまっている。

 

もう今までの自分はなくなっているのかもしれない。

 

それは自分と思って頭が作っていた自分の人生をあきらめることになる。

 

 

 

これが最後の目覚めの段階らしい。

まあ、この話は頭のおかしな人の話のように聞こえるかもしれないなあと思いながら・・・あなたにシェアすることにしよう。

 

 

♥それにしても、本音をぶつけることはとても健康的だ。

最愛の弟が昨年亡くなり、謙虚で礼儀正しい弟だったが、せめて私に暴言を吐いて「姉貴、人生が辛いよー!」と言って、甘えてほしかったなあと思う。

もし、あなたが自分の人生を我慢しているなら、誰かにダメダメな自分を思いきりぶつけて甘えてみてはどうだろうか?