もうがまんしたくない。
ここを出たい。
頭であれこれ考えないで思いのままに飛び出したい。
恐怖を生きるのはもう嫌だ。
今すぐ新しい世界に飛び出したい!
先の保証は何もないが、きっと気持ちがいいことだろう。
そうだ、思い出したのだ。
破水してしまった母のお腹の中で窮屈になった私は飛び出すことなく、産み月まで、我慢した。
年子兄に続き、私が早めに生まれてしまったら、周りの大人たちは困るだろうか?
未熟児な私が生まれたら母親は心配するのかな?など考えだのだろうか?
今となってはそれは誰にもわからないことだ。
今こう思う、私は母親が破水してしまった袋の中に居続けて良かったのだろうか?と。
あの時、破水をしてしまった袋からすぐに思い切り外に飛び出していたらどうだっただろうか?と。
ひょっとして私に注目が集まったかもしれない。
それはちょっとうれしいことだ。
逆にお腹に残ったことで、母親は悩み、医者も心配したのかもしれないと思った。
私も生きにくかったし辛かったのだ。
先日、いつも返事が二転三転する89歳の母に電話してこの時のことをじっくりと尋ねてみた。
兄は8カ月で早産でとても小さかったけど普通に育ったという。
私も8カ月で母親が破水したとなると、、、なんだ、兄と同じだったんだ。
そうなら、8カ月で外に出ても助かっていたのかもしれない。
それを聞いて、私はばかみたい、我慢したなんて。
しかも、先に私が生まれてしまったら、医者には何も言われなかったのだ。
破水したお腹の子どもを処置しなさいとは言わなかっただろう。
医者はただ母体を心配していただけだったんだ。
母親の破水後、私がすぐに外に飛び出していたら、医者はああそう生まれたのねとなり、何も言わなかっただろう。
なんと、母親の胎内に残ったことで、私は今生、医者を嫌悪してしまったのだ。
このことから、私の負のパターンがここにあることがわかる。
つまり、辛い状況の中に留まってしまう、我慢してしまうところがあるのだ。
今、病の私はあえて自分の意思で今の環境から無理に離れることに決めた。
すっかり、、、、病に浸った私は体の不調がある。
しかし、今回の一連のことから私は胎内記憶まで思い出した。
そうだ、あの時、できなかったことをやる。
困難な時だからこそ、私は飛び出すのだ。
医者より、まずは、自分の気持ちが先だ。
体丸ごと、自分主導で生きていくことにした。
ここに我慢していたら、先の体は保証されるか?
いいえ、何の保証もないだろう。
きっとこれは考えても答えは出ないことだろう。
ここを安全だと思ってじっとしていたが実際は安全ではなかった。
ある意味、次元を超えて行くみたいな。
命を懸けるみたいな気分である。
どうせなら、海の見えるところに行こう。
ミサエよ、もう我慢しないでいいのだ。
とにかく、外に飛び出そう。
自分の気持ちに従って。
あの時、母親は私がお腹に続けないで、外に出たら、本当はほっとしたかもしれない。
周りの人たちも安心したかもしれない。
命が助かったかどうかわからないけど、私の気持ちは解放されただろう。
私は今そんな気持ちでいる。
ここを出る準備を始めます。
未知の世界、5次元意識で生きるために。