自分のやり方にこだわることは大事なこと

私たちはすべてにおいて、長いこと、気づくとどこかの誰かのやり方を踏襲している。

 

まったく、無意識に他人のやっていることを鵜呑みにしている。

 

自分の考えややり方より、特に権力のある人やテレビやマスコミで言っていることが王道のように思い込んでいる。

 

私の場合は、医者に対して嫌悪感があったが、彼らの言うことの方が正しいのかもしれないと思っているところがあった。

 

今回、病になったことで、いったん、医者の言うことを信じてみて、それに従うことにした。

 

今まで西洋医療に対して、敵対していた自分の心を統合させたかったからである。

 

ところが、どこまでいっても、私は医者の言うことが絶対に正しいと思えない。

 

医者の言うことはデーターに基づいているので、それは事実なのだろう。

 

しかしだ。

 

同じ人間でも、体型や遺伝的なものなど、実はまったく違う個体である。

 

育った環境や食事、考え方も同じ人はいない。

 

それを、その時のデーターと言われても、また、絶対にそうなるかもしれないことが、絶対に正しいのだろうか?と思ってしまう。

 

何よりその医者の想い…医者自身の波動というものがある。

 

医者の言葉の出し方について考えさせられた。

 

例えば、医者に、あんた、こうなっちゃうよ・・・と脅し怖がらせる。

私は医者に行くたびに、恐れおののいて、心拍数が上がった。

そして、夜眠れなくなった。

反対に、

まあ、良くなるように頑張ろうね・・・という、その一言で未来を明るいものにクリエイトできる。

おかげで心拍数は落ち着く。

そして、ぐっすり眠れる。

 

生かすも殺すも医者の言葉の出し方次第なんだなあ・・・とつくづくそう思った。

 

今までほとんど病院に行くことがなかった私は医者の偉い人という態度が嫌だった。

同じ医者でもオランダやデンマークでは医者はまったくフレンドリーだった。

これも事実である。

 

なんだろう、この感覚、私の中の今の医者のへの違和感だ。

 

もっと言えば、治療のし方についても、そうなったら、いけないから薬を飲みましょうと言う。

絶対にそうなるから、、、と予言をする。

もちろん、そのデータはあるのだろう。

 

しかし、私が薬を飲むかどうか、、、だ。

一人一人、この対応は違うだろう。

すぐに言うことを聞く人、そうかな?と思う人など。

大半が言うことを聞くのかもしれない。

 

私たちは全体である前に個体である。

高次の世界に病は存在しない。

つまり、この次元で作られている観念である・・・とすると・・・人の思い方次第でもある。

(次元など信じない人にはまったくそんなことは絵空事で信じられないことだろう)

 

♥もう自分の人生をダメと思うか、まだまだ、生きる可能性があるかもしれないと思うのは、その人次第なのだ。

う~~~ん、これはものすごく大事なことだ。