これが、私の(体の)天岩戸開きだ!

♥なぜか人生において何度も窮地から抜け出し新しい道を選択をする事態が起こる

これ以上、周りに合わせて生きると私の人生はダメになる!という状態になる。

その都度、思い切り人生の舵を切り軌道修正を行ってきた。

周りの人がどんなに引留めようと自分の未来が見えなくなった時、私は毅然と立ち上がってきた。

無謀だと言われても私は自分の直観の方を選んだ。

 

♥10年ごとに起こる究極の選択

思い返すとこれは10年ごとに起こっている。

例えば、17歳高校生の時、義祖母が強くすすめたピアノ教師に何年習っても音楽への未来はないと見切りをつけ、自分でピアノ教師を見つけ音楽の道に進めるようスケジュールを組み取り組み始めた。

しかも、そのタイミングは良くない、音楽学校受験1年前だった。

案の定、義祖母や親にものすごく叱られ、長年通っていた元のピアノ教師のところに行くように命令された。

しかし、この教師はとんでもない教師で、クラッシック音楽を知らないのか、私に教則本を与えるだけで指導は一切しなかった。

私がどんどん新しい曲を弾けてしまうこともあり、何も教えてもらうことはなかった。。

自分の計画した通りで音短大に入学でき、いろいろと見えてきた頃、この元ピアノ教師がいかに質の悪い教師であるか実際にわかった。

高校生の私の直観は正しかった。

 

☆人生において誰でも大きな選択をする時がある。

そんな時、周りの人が言うことより自分の直観を信じる方がいい。

 

他に、37歳オランダ在住時、海外駐在員の元夫の勤めていた会社の奥様の集まりに参加することが恒例になっていた。

妻たちはケーキなどを焼いて社長夫人を中心に上司の妻たちを持ち上げるという雰囲気の集まりだった。

妻たちは夫の会社での地位・序列に従っていた。

妻たちは海外にいるのに自由がない、常に上司の妻たちから行動を監視されていた。

その頃、私は自分のキャリア(仕事)を持ちたくてカラーコンサルトとの資格を取得した。

そして、妻たちが誰もやらない前代未聞の会社のルール破りを試みたのである。

奥様の会に参加せず、アルバイトを程度であったが認められる範囲で働き始めたのである。

当然、社長夫人から猛烈なお叱りを受けたが私はひるまなかった。

結果はくだらないお茶会(人のうわさ話)などで時間を無駄にせず、自分の仕事に専念できたのである。

その後、すぐ私の家族はオランダからデンマークに左遷?となった。

元夫はフランス行きが希望であった。

申し訳ないと思ったが、それでもその半年後、すぐにフランス行きとなった。

 

♥10年ごとに先祖の古いDNAを新するという私の人生

このように私の人生はいったん古くて固い体制・組織に入り、

そこから、まったく新しい人生を選択し自分の道を切り開くように導かれる。

それはまるで先祖から受け継いだ古いDNAを自分の力で刷新させるような感じだ。

先祖からの古くて役に立たないDNAの書き換えを行い、自分の人生を進化させていると言える。

これは家系の次元上昇でもある。 

 

♥67歳、体の改革をする羽目になる

先祖からの遺伝的な「病 糖尿病」を受け継いだ私はこのままの体にしておいてはダメだと思い、

今回も今までの体のあり方を新しくする選択することになった。

私の体をいかに新しいものに変えるか?

これがなかなか難題であった。

体と向き合って物質的には徹底的に食事を変えたり、体を動かしたりしてきた。

これはこれでなんとか功を奏し、糖尿病の数値は落ち着き、私の体はしまり若返ったようである。

しかし、体と向き合って問題だったのは私の内面のあり方の方だった。

 

♥私が先祖から受け継いでいた古臭い心のあり方

糖尿病になった先祖たちを見てみると家系の問題は父親不在だった。

家庭に父親がいるのにいない状態、

形だけのお飾りのような父親、

つまり、家系の中にある男性性の欠如が問題であったことがわかった。

(家系の古いあり方)

外の世界、社会に対して自信がない。

社会や人つき合いなどにおいて構えるようになり、常に緊張している。

自然体でいることができない。

無理に周りと合わせ常に気を使う。

本心を隠しみんなにとっての感じのいい人になる。

頼まれてNOと言えない。

はっきりと返事せず曖昧にする。

特に男性や上の立場の人に迎合する。

自分に価値を感じることができないために人の面倒をみる傾向がある。

常に外に目が向いている状態、つまり他人軸である。

リラックスできないために安住できる自分の居場所がない。

 

♥恐怖の根本にあった自分の価値

これらの傾向の中で、最も深く気づいたのは恐怖の根本にあった自己価値だった。

それは「もし私が人の役に立たないなら生きる価値があるのか?」というものだった。

深いところで、私は何もできないなら生きる価値がない?と思っていたのだ。

糖尿病だった先祖たちも、人の役に立たないなら死んだ方がましだと思い辛い日々を送っていたに違いない。

あ~私の先祖たち・・・。

今回、体のあり方と向きあったこと、先祖たちの心の癖を見直したことも含め、先祖たちはこのことを喜んでいるように感じている。

(新しいあり方)

自分は生きているだけで価値がある。

体の力を抜いて、このままの自分で生きていい。

男性(父性)と戦わず、心を開き、対等な友好関係を築き、無理をせずNOと言ってもいい。

男性との関係は上でも下でもなく、友として互いに助け合っていく。

以上、私の新しい道の選択は先祖供養でもあると私の魂は言う。

 

☆、さあ、私は生きているだけでいいのだ。

私は愛で、光だ。

私は神の恩寵で存在しているのだ。

これは、平和な世界へのパラレルシフト、体の次元上昇だ。

これこそ、私の天岩戸開きというのかもしれないなあ~。