医者にあなたは神経質だ、
心配性だ、
ネガティブだ~
とかなり久しぶりに男性に面と向かって批判された。
しかも、これで2回目である。
私はそんな自分を情けなく思い自分を責めた。
♥私はダメ人間?
医者の冷たい言葉に私はむかっとした。
そして、このような反応をした自分にはっと気づいた。
私は病になったことで自分を責め自信を失っていた。
医者に言い返すことができないほど病になった私は自分をダメ人間だと思い込んでいたのだ
今までの人生において、権力者(医者も含む)に反抗し、彼らに負けないように強きで生きていた。
しかし、病になり罪悪感から彼らに弱みを握られ負けたような気になっていたのだ。
病になった私はダメ人間か?
もちろん、今の私は彼らともはや戦く気はないが、まだ自分を責めていたのだ。
♥神経質で悪いか?
神経症ということは、違う観点から見れば、繊細であるということだ。
細かいところまでいろいろと気がまわり、ものごとを深く考えることができるという利点がある。
繊細だからこそアートや文化が生まれる。
心配性は、ある意味、見方を変えれば、物事をいろいろと想像できるクリエイターの特質である。
つまり、短所は長所でもある。
私こそ、こういう性格を受け入れていなかったことになる。
それに気づくことができただけでも医者に感謝である。
♥いかに立ち直るか?
マイナスの方向に心が傾いていたために相手の何気ない言葉をマイナスに受け取っていた。
もし次回、医者が同じことを私に言ったなら、私はすぐにこう切り返してみよう。
「にっこり笑って、あら~先生、心配性って繊細であるということ、
また、繊細さはクリエイターなどの資質があるということよ」
と言ってみよう。
まあ、ここまでわかれば、もはや他人に言われることはないだろう。
今まで培ってきた瞑想やハイヤーセルフとの対話、
ものごとを俯瞰して観ることや洞察や気づきなどから、
客観的に俯瞰して見る訓練をしてきたので、落ち込んでもこのように立ち上がることができる。
♥ネガティブをやめることはなかなか難しい
今回のことからネガティブな自分で居続けることを極力やめることにした。
病になったことを悪いことだと、自分を責め続ける時間は無駄な時間だ。
しかし、わかっているのにやめられない心の癖、何か起こるとすぐネガティブになり、そこに浸り続けてしまう。
心の癖というのは依存心でもある。
まあ、そんな自分をしかたなく思うが、それでも、ネガティブに気づくことはとても大事なことだ。
♥人生は生まれる前に作ってきたシナリオ
人生はあらかじめこう歩むだろうと筋書きを決めてきているとか?
自分が納得して作ってきたなら、人生の設定を変更できるのではないだろうか。
まあ、それさえ、決めてきているのかもしれないが。
せめてすぐにネガティブに受け取るストーリーは作り出したくない。
人生の設定をポジティブなものに変えてしまおう。
それさえ、決まっていてもだ。
♥寿命まで生きるぞ!
自分の人生の設定をあえて変えてみたい。
人の死は病が原因でなく、寿命で終わると言われている。
人が死ぬ原因は人それぞれである。
若くして死ぬか高齢で死ぬか、
事故で死ぬか病で死ぬか他にも、それは誰にもわからない。
自分が天と決めてきた寿命まで生きる。
寿命まで生きるなら、ネガティブにくよくよしながら心配して生きるより、お気楽に希望を持って生きる方がいい。
弟が昨年63歳で心臓の病で急死した。
以来、命について、生きること死にことについて、本当にいろいろ考えさせられた。
愛する彼は寿命を生きたのだ。
彼は結婚しないで幸せだったのだろうか?
もっとやりたいことはなかったのだろうか?
しかし、そんなことは誰にもわからない。
俯瞰して観ると、彼は見事に生きたと思える。
おそらく、人が死ぬ時はパーフェクトタイミングなんたと思っている。
それには確信がある。
私にも寿命がある。
命がある限り、う~んと輝いて生きるぞ!
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