病は天の采配であった?

♥地の時代の落ちこぼれ

地の時代では周りと調和するように、周りに合わせるように教育されてきた。

それを当時の日本人は文句を言わず盲目に従っていた。

学校ではみんな足並みをそろえ、いちにいちにと行動する。

女は従順に男に従うのが正しいかのような風潮もまだ残っていた。

場の空気を読み、人とうまくやっていく人は社会の中でうまく立ち回り出世する。

みな一方方向(上)を目指して一丸となって突き進んでいるような感覚だった。

学校でも会社でも過激な競争をしてしのぎを削ってきた。

これについていけない人は落ちこぼれと言われた。

ところが、その落ちこぼれの人こそ個性豊か、風の時代にふさわしい人なった。 

私もまたオタク要素があったが、なんとか必死で普通の人を演じてきた。

なんとか周りに同じように合わせてみるがうまくできない、すぐに違いがばれる。

集団にいることが苦手で居心地が悪い。

それでもごまかしながら生きてきて、20歳後半にスピリチュアルを知り学び始め少しずつ自分らしく生きるようになった。

それでもまだ中途半端な自分が居た。

当然、心はイライラし、上手くやろうとすればするほどうまくいかない。

 

♥時がやってきた

糖尿病とそれに伴う白内障になったことで、有無も言わさず私は自分軸に戻ることになった。

以前の私は場の空気や人の顔色をうかがい、人のために生きないと私は価値がないと思っていたが、そんなことはもう知らんという感じになった。

白内障(7月手術予定)により、人のことも周りのこともよく見えなくなった。

目が見えなくなるかもしれない、もう死ぬのだろうか?と恐怖でいっぱいになった。

今までの人生のすべてを否定されまっ暗な穴の中に放り込まれた気分になった。

それと同時に絶対に見たくないない私の根深い癖である心配性や自虐性が体の深いところから湧き上がってきた。

 

♥一体何が起きているのか?

この苦しさから瞑想とハイヤーセルフとの対話をやってきた。

結論から言えば、これは私は体の中の(先祖も含め)過去のカルマを一掃している最中であるという。

それでも、こんな生き地獄、先祖の人たちはこんなに苦しんできたのだろうか、

私には耐えられない、もう嫌だと何度も思った。

それでも導きたちの助けもあり、ふしぎと絶望から何度も立ち上がる。

心の闇(汚れ)をピカピカにしたら終わるだろうと信じている。

 

♥ここから学んだこと

私(及び先祖)は今までがんばり過ぎて生きていた。

自分には価値ないと思っていた。

自分のために生きることをやらず、自分を後回しにしてきた。

 ↓

よって、私は安心してリラックスして生きていい。

私は存在しているだけで価値がある。

自分の幸せを優先していいと変えることにしたい。

 

さらに、ここから深くわかったことは、

私を偉いね、素晴らしいねと認めてくれない両親を反対に認めていなかったことに気づいた。

まさにこれは自他を認めないという私の部分を鏡として、それを両親に見ていたことになる。

パラドックスである。

周りを赦し認め受け入れたら、はじめて私は自分を赦し認め受け入れることができるということだ。

 

♥今後どんな人たちとつながっていきたいか?

今、新しい人とのつきあい方を学んでいる。

それには、まず人を羨ましがったり、

人に嫉妬したり、

人の悪口を言ったり、

人に依存したり、

人のエネルギーを奪ったり

人に怒りをぶつけたり、

人の足を引っ張ったり

人に嫌味を言ったりする地の時代の他人軸を卒業している人とつきあうことだと思っている。

もちろん、私自身もここから卒業することは必須だ。

 

♥天の采配

私は今、ハイヤーセルフ(神)から、古い次元の厳しかった過去を一切抵抗しないで(赦し)手放し。軽い流れに乗るように促されている。

こうして観ると、私の病は次元上昇するための天の采配だったのではないか・・・と受け止めている。