体に意識を向けしっかりとグランディングして以来、以前に比べて現実的にいろいろなものがより鮮明に見えるようになってきた。
特に気になるのは日本の女性のオーラ(エネルギー)だ。
♥日本の女性は幸せなのだろうか?
女として幸せなのだろうか?というもの。
それは、私のことでもあった。
年配の女性を見るとオーラの中に重いものを背負っているのが見える。
それは女たちが歴史・社会の中で、女であることを抑圧され、それを無念として持っている隠された想いではないだろうか。
その重い想いが解消されないまま背負っているように見える。
日本の女性は幸せなのだろうか?
そして、自分はどうだろうか?
♥これは私の姿だ
私の中にある重さとは?
女性差別・女性蔑視という想いである。
ヨーロッパに住んでいた頃、私はとても軽やかで幸せだった。
あの軽やかさとは女としての自由さがあったからだ。
それはヨーロッパの女性たちのオープンな雰囲気や態度からわかる。
もちろん、女が幸せということは男も幸せということだ。
男たちは女たちを大事にしている。
つまり、老若男女みな幸せということだ。
ヨーロッパに3カ国住んだが、どこの国・町も老いも若きも男女が愛を語りあっていた。
それをたくさん見ることができた。
みんなで和気あいあいと時を楽しんでいた。
私はこのように人が生きる喜びを楽しんでいるのを目の当たりにした。
♥バルセロナの夜
2013年、南フランスを自由に旅していた長女と私はバルセロナの空港で待ち合わせた。
スペインのバルセロナとアフリカのモロッコへの旅に出たである。
私たちの旅は常に自由な個人旅行である。
バルセロナではアート地区と言われているアパルトマンを1週間借りた。
そして、ベルセロナをあちこち歩き回った。
旧市街のひなびた教会でギターの演奏を聞いたり、ガウディーが建てたものをたくさん見たりした。
中でも休日の夜、広場で老若男女が集まって歌ったり、踊ったり自由に語り合っている姿は忘れられない。
貧富の差なんて関係ない。
この「時」を仲間と一緒に楽しんでいる。
老いも若きも純粋に楽しんでいた。
♥魂が思い出させてくれた幸せな光景
あ~~~私はなんてことだろう。
私はあんなにすてきな楽しみ方の原点を見たのに・・・私は忘れてしまったいた。
日本帰国した以来、今まで何をやってきたのだろうか?
私にはみんなを幸せにしたいと願っていたが、気づくと自分には深刻さしかなかった。
私は幸せなのだろうか?とふと思った。
そして、周りの年配の女性を見ると、そこに幸せにしていない自分を見たのだ。
あ~~~どこかで自分が幸せになることをとめていたのかもしれない。
このベルセロナの夜の光景が今でもはっきりと思い出せるほど、私の脳裏に焼きついている。
その時の光景(エネルギー)があまりにも美しく、今でも泣けてくる。
そう!これこそが私のコミニティーの場作りの原点なのだ。
これが地上の楽園のベースのイメージなのだ。
魂は忘れてしまっていたこの光景を私に見せたのだ。
♥私を幸せにする
私、もっと楽しくしていいのにと思った。
もっと幸せになっていいのに・・・なぜだろう。
幸せにならないようにしていたと気づいた。
誰に言われたんだろう、、、もっと苦労しないと女は幸せになれないと?思っていた。
私をいじめ抜いた義理祖母や母親・父親か。それとも、日本社会なのかな。
未だにこんなばかばかしいものに縛られているなんて。
年齢が高くなればなるほど苦しくなるなんて、おかしいことだ。
幸せになるのを我慢しているなんて、
歴史的に女たちは自由にのびのびするのを阻止され、いつの間にかそれが普通の重さだと思い込んでしまっている。
そして、それに気づかず死んでいくのだ。
☆女が幸せになれば、男(夫)も子どもも幸せになるのは間違いない。
反対に女が幸せでないと、男(夫)も子どもも幸せになれないのだ。
もう一つ気づいたことは、私は離婚後無意識であったが男性を避けていたことだ。
男性を前にしてリラックスしているとは言えない自分にも気づいた。
私は男性に苦手意識を抱いていたのだ。
この男性へのネガティブなエネルギーを変えていきたい。
これに気づいたことで、パートナーと出会うことも可能になるだろう。
♥新しい男性イメージをクリエイトする
それには、まず自分の男性(男性性)のイメージを変えることが重要である。
自分の父親(過去の男性)のイメージを払拭することだ。
古い男たちよ、私の男はあなたではない。
(これは反対も応用できる。古い女たち(母)僕の女はあなたではないと…)
☆男女に関わらず、私たちはもっと幸せになっていいと自分を赦すことだ。
!夏至の日に、私は自分を幸せにすると決意した!
そして、あのバルセロナの夜、広場で憩う老若男女の美しい光景をなんとしても日本で実現させたいと強く願った。
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