目の前の厄介な出来事に影響されないというあり方は次に進化するためのあり方ではないだろうか。
目の前の問題は過去や過去世に作っていたものが投影されている。
この過去に作ったのに、この厄介な物語はとてもリアルに見える。
これがこの次元におけるただの映像に見えるなら、もはやこの出来事に影響される必要はない。
さっさと住みたいパラレルワールドを意図することだ。
それにしても、この厄介なことに人はとても影響されるものだ。
私はこの仕組みを肌でわかるのに今まで時間がかかっていた。
この厄介な人や出来事は、とても吸引力があり、そこに居続けたくなる。
戦いたくなり向きになる。
そして、この人、この出来事に関われば関わるほどものすごく疲れ疲弊してしまう。
しかし、奮闘の結果、今目の前に現れた忌々しい人や出来事を映像として捉えることができるようになっている。。
(なかなか難しいことを書いているが、もう少し、おつき合いいただきたい)
これに関連して、私は体の進化中なので、もう忘れてしまっていた、ひどくネガティブな記憶や夢が表面にふつふつと湧き上がってくる。
夜中にふと起きて、まだこんなもんがあった、まだ、こんなに怖がっていたんだ~、あれ~まだこんなにこの人を憎んでいたんだ。
また、夢の中で、とてもリアルに重苦しい状況の中にいる夢を見て飛び起きたりしていた。。
もう終わっていると思っていたのに深いところから、こんなのありますよって表層意識に現れてくる。
どんだけあるんだと呆れる。
自分の過去世や過去のネガティブなものが一掃されていっているのか、日々恐怖劇場を観ているようだ。
そのたびに、私はそれらをヒーリングしている。
この怖い想い(記憶)は受け入れるだけでいいのかもしれないが、ヒーリングするととても楽になる。
現実に目の前の世界で起こっている問題も恐ろしい夢も、忌まわしい記憶も、それらはすべては過去のことである。
それらの忌まわしい想いや恐怖はかつて私が思い込んでいたことや隠していた想いだ。
もう次の(高次の)世界には持っていけないということだ。
もはや必要のないもの、
それらは過去のことだから、いちいち激しく影響される必要はないが、とてもリアルゆえに苦しみを伴う。。
先日こんなことが起こった。
スーパーの帰り、私はひとり用の下りのエスカレーターに乗っていた
そこに、5・6歳くらいのふたりの男の子が走って降りて来て、私の後ろに来て、私を追い越そうとした。
私の前には杖をついている介助されて立っている老女がいる。
もし、彼らが彼女を追い越したら、危ないと瞬間的に思った。
後ろから私の横をすり抜けようとした彼らに、追い越したらダメだよと注意した。
もし、この老女にぶつかり転倒でもしたら、誰の責任になるのか?
子どもたちは走り去っていくだろう。
私はこのふたりの子どもに危ないから、人を追い越して狭いエスカレーターを降りてはいけないと言ったのだ。
すると二人の後ろいた男の子は、、、、でも降りていないよと平気な反応した。
すぐに言い訳した。
まあ、すごい、頭のいい子。
降りようとしたのは明らかなのに。。。
それをまだやってないからと言った。
それを聞いて、もはや彼らを注意したとしても、そんなことは彼らにしたらまったく関係のないことなんだ。
僕らはうるさいばばあくらいにしか思っていない様子。
私はふと、なぜこんな現実をひき寄せたのだろうか?
私の子や孫なら、なんと言うだろうか?
狭い1人用のエスカレーターは追い越さないでね。他の人に当たったら危ないからねと教えたい。
地下鉄の改札で再度、この子どもたちと目が合った時、私は彼らをにらんで(気をつけてと言って)みたが、そんなことは無駄かもしれないと思った。
私の子ども時代は近所で助け合って子どもを育てていた。
昭和の時代のことだ。
これから、さらに激しい少子化に向かう。
子どもは他人に注意されることはなくなっていくだろう。
どんな日本になるのだろうか?
☆私は、ここから他人の子どもの人生をお節介する(外界の厄介事)より、自分を平和に保ち光を多く取り入れ、最高最善の世界を意図することに専念したらいいのだと学んだ。
ありがとう、坊やたち。
それは教師でもなく、母親でもなく、祖母でもなく、年配だからでもない、風の時代にふさわしいライトワーカーとしての私のあり方だから…、
♥本日は私の68回目のお誕生日、こんな素敵な気づきをいただきました!
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