私は繊細で神経質なところがある。
以前、繊細であることはどこか良くないことで弱いことだと思っていた。
昭和という時代は強いことや大きいことが求められていたからだ。
しかし、今は敏感さや繊細さはとても貴重なもの波動が高いことだと思っている。
それは弱いことではない。
繊細さや敏感さは弱さとはまったく関係がなかった。
むしろ、それらにはしなやかさがあり広がりもある。
繊細な人から芸術が生まれる。
神経質で感じやすいから人の痛みや悲しみに寄り添うことができる。
繊細で神経質な私は体が感じるセンサーにも敏感である。
眼科医に、わずかな違いかもしれない私の症状を話しても「あんたは神経質だ、考えすぎた」と言われて、そこで会話が終わりになる。
私がそう感じているのに・・・。
いちいち一喜一憂するなとも言われた。
この頑固一徹な医者の言い方に頭にくるが、今のところ信用して大事な私の目を預けているので、すぐに医者を変えるのは難しい。
とにかく、嫌われてもいいので、私は本当を伝えていくことにしたい。
弱くて言えないなんてことのないようにしたい。
繊細で神経質で考えすぎだと言われても、私はひるまず本音を語ることにしよう。
まして、とても言いにくい相手だからこそ、本当の私を見せる良い機会だ。
患者はただでさえ立場が弱いが、次回も、ひるまず眼科医に一言本音を言うことにするぞ。
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