13年間のヨーロッパ生活で子どもを育て現地で病院やホームドクターのあり方を知った。
いかに医者は患者を尊重しているかを学んだ。
子どもにさえ意思を尊重する医者の対応に驚いた。
日本では医者は患者より病についてよく知っているから、彼らの言うことを聞くのは当然だというような空気がある。
患者を尊重するということは、日本の医者にはなかなか通用しないのだろうか。
治療について質問する私を、医者は神経質だとか考えすぎだと言った。
うるさいといわんばかりの対応だった。
それでも、昭和29年生まれの私は、やはり医者の言うことは何でも正しいから、言うことを聞かないといけないという刷り込みがある。
日本ではわからないところを質問をしたり、自分の意見を言えば、わがままだと言わんばかりの対応を受けることがある。
この風の時代に、、、このような上からの対応がこれから通用していくとは思えない。
今回、目の治療について重苦しい状況の中、私は自分が他人軸になり、医者の言いなりになっていることに気づいた。
そこで、私はあらためて自分軸に戻ってみた。
胎内記憶の中の権威的な医者
過去世(中世)において自然療法が弾圧された怖い想い
私は西洋医療との間にカルマがあったのだ。
そして、自分軸になってみると「セカンドオピニオンを聞いた方がいい、このルートで尋ねたらいい」と言うメッセージを受け取った。
それを聞いて久しぶりに安堵感を感じた。
そうか私は医者にいつの間にか他人軸になり過ぎて、自分をがんじがらめにしていたのだ。
疑問があるのに、不信感があるのに、そのためにとても重くなり苦しくなっていた。
そこでいったん治療を中止して、他の医療機関でセカンドオピニオンを聞いてみることにした。
自分の思い込みである偉い人?より、自分を優先させる勇気は必要だと思う。
私の体は結局私の責任だからだ。
医者とは信頼関係が重要である。
他の患者さんはこの医者に一方的に任せているようだ。
それはそれでいいのだ。
私に疑問がある時はきちんと説明してほしい。
それは海外生活の中で納得して医療を信じることができた。
これこそが人と人との信頼関係である。
治療に対して私は納得したい。
これが私の自分軸である。
嫌われてもいいから、私は自分のハートに従おうと思う。