この先どうなっていくか、わからなくてもいい?

世界を見ると日々刻々と状況が大きく変化している。

これが、風の時代というものだろうか。

私にはなにがなんだかよくわからない。

今まで過去(平和)だったから、次も穏やかに暮らせるだろう・・・とは言えないほど、戦争が起こり経済が不安定になっているようだ。

 

同じように私の体も日々変化している。

やっと私は暗い洞窟の中から光に向かって3月21日(宇宙元旦)以降動き始めている。

特に途中で止めていた体の治療(病院)をスタートさせた。

何しろ人は一番落ち込んでいる時には良い判断ができない。

それに伴い、良い情報・人・ものは引き寄せられない。

しかし、この時間が無駄だったかというとそうではない。

治療を止めてはいけなかったと医者に言われても、私には一旦停止は必要なものだった。

私は頑固かもしれないが私の心は全く動かなかった。

私の直観が止まれと言っていたのだ。

こうなると無理に動けなくなる。

 

人は物質的な存在だけではなく魂存在でもある。

肉体的に早死にしたとしても、魂の成長にはたとえ生きる時間が短くても、生きていた時間は重要である。

短い間に、その人は何に気づいたのか?何を学んだのか?

つまり、人生が何歳で終わったとしても、その間の体験が(辛くても・楽しくても)とても貴重なものとなる。

人生は「長さ」が大事だと言う人がいるかもしれないが、今の私は人生は「質」だと思っている。

ただただ毎日が通り過ぎて、何も感じない、考えないようにしていては、あまりにももったいない。

私は病になったことで、今までが奇跡のような日々だったのだとわかった。

 

★毎日送っている日々こそが奇跡なのだ!

あなたが今ここに生きていること、それ自体が奇跡だといえる。

頭がもっと良くなりたいとか、外見が良くしたい、もっときれいになりたいとか、あの人みたいになりたいとか、そんなくだらないことに時間を費やしていたなんて、自分の体に申し訳なく思っている。

これも私は病になったから自覚できたことだ。

湯船につかりながらひとつひとつの体の部分に感謝している。

健康な時には、こんなこと考えもしなかった。

 

♥体様!

過去においても私は体を大切にしようなんて言っていた・・・が今ではこの意味会いがまったく違う。

体はこの世を生きるのに必須な乗り物であり、

魂の入れ物であり、

個体?として、ご神殿のように存在しているのだ。

私には体様様である。

 

さて、私はいつまで生きるか。私にはまったくわからない。

そして、これから私と私の周りで何が起こるのもわからない。

予測不可能である。

ただ言えることは、今目の前のことに集中して、できるだけやりたいことをやっていくこと。

軽やかな風の時代に遠い未来のことを心配したり悩んだり、また、過去のことを後悔するというそんな重たい時間はふさわしくない。

次の未来がどうなっていくのか・・・わからなくてもいいのかもしれない。

目の前のことを一つ一つ、楽しみながら、やっていくことにしよう!