今の私は他人のことをとやかく、いい悪いなど、言えなくなっている。
みんなそれぞれの人生を懸命に歩んでいるからだ。
しかし、以前は、特に女性を暗黙に落とすような言動をする男性が苦手だった。
こういう男性は女性(本当は母親)に怒りを持っている。
敏感な女性はそれに気づいてしまう。
私を含め、こういう女性は父親から怒りをぶつけられて育っている。
残念なことに、こういう男性を避けようとしても、皮肉なことに引き寄せてしまう。
それが引き寄せの法則である。
それを以下で説明してみたい。
こういう母親に怒りがある男性は「自分こそは女性にやさしいのだ」と思っている。
しかし、本人は怒りを持っていることさえ気づいていない。
自分を愛さない母親に対して怒りを根に持っているために、無意識に女性を見下している。
もちろん、それは表面には出さない。
また、母親を恨んでいるなんで絶対に認めたくない。
くだらない女性にさえ俺は親切にしているんだと自負しているかもしれない。
(ここまで読んで反発を感じるなら、この傾向があるかもしれない。私は決して責めているのではない)
さらに、父親に愛されなかった女性はこういう男性に優しくされたと、、、勘違いする。
彼に親切にされた、彼は自分を気に入っていると、、、思ってしまう。
実は、女性に怒りを持っている男性に近づいてしまったのだ。
そういう負の関係が互いを引き寄せる。
どちらも勘違いなのだ。
女性は実際に男性に近づいてみて、あれ~なんか違うということになる。
ふとしたすきに女性を馬鹿にしている彼の想いが突然現れる。
この女性は彼の暴言や嫌味を聞くことになる。
そして、彼女の心は彼から離れていくことになる。
ある時、私は男性の上司が部下の女性スタッフに暴言を吐いているのを聞いて驚いたことがある。
彼は世間的には良い人で優しい人だったが、女性に怒りを持っていた。
おもしろいことに、この女性スタッフはそれに慣れているようで黙っているがあまり気にしていない。
あ~あ、これって女性によるんだなあ。
私のようにこの怒りを受けて、もう二度と近づかないようにするタイプと、
この女性スタッフのように、あ~またか、このかんしゃくはしたないわねと怒りが頭の上を通り過ぎるのを待つタイプがいるのだ。
このタイプの女性はこの上司の男性より上手だ。
ああ~そうね、また言っているわ~とか、そうやってあしらうことができる。
この対応の違いは、
このスタッフの女性は父親に認められ受け入れられて育っている可能性がある。
あるいは、この男性について、フラットな意識を持っているのかもしれない。
どちらにしても、この女性の男性への想いは安定している。
私の父親は自分の親から養子に出され、暗に母親に捨てられたたことを苦々しく思い、私に怒りをぶつけいたのだ。
心理学からすると、家族で一番優しい子どもにそのような怒りは当てられるという。
父親は男の子とのつきあいについても、ものすごく嫌がった。
とにかく、私は良い娘として彼を怒らせないように気を使っていた。
また、女性に怒りを持っている男の中に父親の怒りを見てしまうためになかなか良い関係を築けないでいた。
私の年代上の世代は、戦後の昭和という時代に育ち、男は女より上と言う感覚がある。
男より前を先に歩いてはいけないような風潮が残っていた時代だ。
女性であることそのものが社会ではハンディなことであった。
父親は娘の私に怒りをぶつけることで、生みの母親と別れさせられた悲しみを癒したのだと思う。
しかし、それはやがて「私は男性と良い関係を築けない、男性を信用できない」という悪循環になっていった。
厄介なことに、子どもはまず自分の中の男性性を父親の基準に合わせる。
そのことで、社会において。なにごとも父親のレベルを超えないという制限を自分に課す。
無意識に自分の父親に義理立てをするのだ。
父親より上に行ったら、私は父親に受けれてもらえないと・・・いう幻想である。
実際、仕事を始めた時、父親の収入を超えないようにしていた。
よって、消極的で後ろ向きな父親のエネルギーしか出せなかった。
ここから私は成長したいと望み、自分の男性性に問題があると思い、父親基準ではない本来の私の男性性を発見できるようにと、いろいろなことをやってきた。
まあ、怒りある男性をあしらうところまではいかなくても、こういう男性から離れ、言動やエネルギーに影響されないところまで来ている。
いよいよ、私の男性性と女性性を統合させ、自分王国を創るところにいるのだ。
怒りをぶつける男性を引き寄せることはなく、
男性より自分を弱く見せることもなく、自分丸ごとを現すと、
そこで、やっと本来の自分にふさわしい男性・仕事(社会での立場)を引き寄せることができる。
♥私は女性の応援団長として、男性社会でうまくいかなかった女性たちに、本来の男性性に目覚めて行ってほしい。以上、私の体験が何かの役に立つことを願いながら…。