表だけうまくやればいい、自分の心は面倒から見たくない人、
何も深く考えない人、
考えの浅い人、
こういう人は周りにいる人を怒らせる。
それも「何か悪いことをしたわけでもないのに」だ。
なぜ周りの人が怒るのか、その理由がわからない。
職場でも学校でも、そこにいればいるほど嫌われていく。
それは肥大化していき、さらに、どんどん嫌われていく。
これは★無意識のエネルギーレベルで起こっている。
特に心を大事にしている人には、何も考えていない人の心が見える。
顔を見ただけでも嫌な気分になる。
こういう光景はあちこちで見られる。
残念ながら、このことを本人が気にしていないために改善されることはない。
私はこれが人々の中にあることを発見した。
人の発信しているエネルギーがわかればわかるほどそれが深刻な問題に見えてくる。
次に、実際に起こった例を書いてみることにする。
それは昨日数年通っている美容院で起こったことだ。
シャンプーをしてくれるその若い女性はとても言葉が丁寧だ。
しかし、やたらと彼女の言っていることに答えると、ありがとうございます・・・と毎回必ず言う。
結構軽く言うので、ありがとうと言う言葉の重みはない。
シンプルにハイとか、わかりましだけでいいのに。
彼女はまるでロボットのような紋切型の話し方をする。
こういう人を大人たちは良い子と思うのかもしれない。
そつがない。
しかも上司に受けがいい。
私は常に人の心を観ているので、その彼女の心がまったく動いていないのを感じていた。
彼女は働いていて楽しいのか、うれしいのか、嫌なのか・・・何もわからない。
特に接客を楽しんでいるようには見えない。
むしろ義務的な感じだ。
この女性のシャンプーは今回で2回目である。
1回目の時はこの女性がロボット的だなあ、なるべく関わらないようにしようと思った。
なぜなら、こういうタイプの人を信用していないからだ。
まして自分の髪を扱ってもらうから、気をつけないといけない。
そして、、、2回目のシャンプーの時、その心配が現実になった。
彼女はなぜか他の洗ってくれる人よりシャンプーの時間を短くした。
しかも、リンスをしなかった。
私はそれに気づいた時には、彼女は私の髪をタオルでふいて終わろうとしていた。
それを指摘すると、いくつか言い訳をした、
そして、リンスをしたふり?をしたように見えた。
私はいつもカットをお願いしているそこの店長さんにシャンプー後リンスを今はしないのかと尋ねてみた。
彼は驚き、あの子が?あ~、うっかり忘れてしまったのかもと、その店長さんは言った。
あの良い子が、、、みたいな反応であった。
なぜ、店長にこの質問をしたかと言うと、抜かりのない彼女は自分の立場をよくして店長に伝えると判断からだ。
案の定・・・の反応だった。
経営者として指導者として、いかに自分の店のスタッフに接客の「心」を教えるかはとても難しい。
まして昭和の時代でもない。
切磋琢磨し自分の仕事の能力を高めていくような、そんな時代はもう来ないのだろう。
私は日本の職人さん(美容師)は世界て一番だと誇りに思っていたが、
これからはAIがやってくれるから職人としての技術はそんなに高いものを求めないのかもしれない。
次回お金を支払ってまで、この女性にシャンプーはしてほしくないなあと思っている。
以前の私なら、こういうロボット的な人を何とかしたいと、深く関りいろいろアドバイスを試みてきた。
しかし、彼らは変わることはなく、問題を起こし続け周りの人に嫌われる。
まるでわざと周りの人を怒らせているようにも見える。
自分のことしかない。
自分さえいない。
血が通っていない冷酷な人に見える。
なぜ、彼らはこんなになってしまったのだろうか?
彼らの先祖は深刻な差別を受けていた。
問題は解消されず、代々抱えているのだ。
また、これは貧富の差はまったく関係がない。
この家族の中の一人も、人を愛し愛されるという体験がない。
せめて、家系に一人でも愛がある人がいたら子孫の人柄は全く違っているだろう。
心を育てていない人はその家族がもうすでに壊れてしまっているということを意味する。
外から見たら何とか普通の家庭に見えても、内側は大変な問題を抱えているのだ。
いつかどこかでこのほころびは出てくるだろう。
それは時間の問題である。
私はこういうタイプ人に興味を持ち、15年以上関わってきたが、2020年暮れ、風の時代に入ったこともあり完全にこの想いを手放した。
それは3次元世界の私の執着でもあった。
人を何とかしたいという想い。。。それは、間違えると支配になってしまう。
3次元世界ではどうしても上か下かの立ち位置を取るからだ。
そこから離れないと、5次元世界以上のパラレルワールドには進めない。
彼らは絶対に変わらない。
それでいいのだ。
これが2極化でもある。
私は彼らと波長を合わせられなくなっている。
おそらく、コロナに対する対応も二つに分かれている。
今、起こっている紛争に対する見方も大きく二つに分かれている。
風の時代を信じる人信じない人に分かれる。
それはどちらでもいいことだ。
同じ日本人でも何を観ているのか、人によってどんどん違っていくだろう。
ネットを観ている人も自分の見たいものを観ているだけになっている。
35年前に日本人はみな同じことを言うとオランダ人に言われショックを受けた。
それはまるで金太郎飴のようなものだなあと思ったが、もはやそれは存在しないのだ。
それが時代の流れなのだ。
さあ、これからのあなたはどんな世界に住み、どんな人とつきあっていきますか?