今の私は、人類はみな繋がっているという感覚がある。
いつの頃からか、みんなつながっていると感じるようになった。
夜中に一人で苦しんでいる時も、きっと誰かも同じようにベッドで痛みを抱えて苦しんでいるんだろうなあ大変だなあと想いを馳せる(祈る)。
さらに、人間だけでなく動物も植物も、太陽も月も森羅万象すべてと一体になり繋がっているという感覚がある。
私はたったひとりの存在であるが、まったく一人ではない感覚だ。
冷たくて寂しくて耐えられないと思っても、そんな時、見えないものに守られていると思うとふっと気持ちが楽になる。
たとえ一人でも、人は孤独ではない。
自分だけがかわいそうではないのだ。
みんな同じなんだ。
すべてがうまくいって完璧にこなしている人も、まったくそうでない人も、みな同じなのだ。
みな繋がっているからだ。
私には、まるで人は心深く見えないところでは喜びや痛みをみんなで分かち合っているようなものかもしれないと思える。
集合意識というようなものの中でかもしれない。
また、私は自然を壊して何か大きな建物を人間の欲のために作ることに痛みを感じる。
その建物を利用して人は何かを得ることができる。
しかし、人は自然を利用したり食べたりして生きているから、せめて、自然の恩恵を受けて私たちが生きていることは忘れたくない。
できるだけ自然と共生して生きていきたいが、まったく現実はそうなってはいない。
人が生きていくということは、今のところ自然を壊し、絶滅危惧種を増やすことを意味しているようだ。
それは、歴史の中で世界の文明が何度も滅んてきたように、今も人類滅亡の道に進んでいるのかもしれない。
だからこそ、今、自分と繋がり自然と繋がって共存していこうと思う人たちがいる。
人は意識が繊細で精妙になっていくと、人の感覚は自ずと自然と繋がっていく。
優しい気持ちになるのだ。
自分の体のケアだけでなく、美しい自然や環境を守りたくなってくる。
赤ちゃんや子どもをはじめ、身内ではないのに、温かいもの(愛)を感じるようになる。
人の虐待(いじめ・暴力)に対して憤りを感じるようになる。
人は自分と繋がると、他人と繋がれる、そして、自然と繋がっていく。
(ただし、この順番が大事である。
まずは自分としっかりと繋がることが重要だ。
そうでないと身内に執着してしまい他人を愛せない)
そして、身内と他人の区別がなくなっていき、すべてに愛おしい気持ちになる。
精神性や霊性が高くなると、自ずと人は誰でもこうなっていく。
・・・これ以上文明が滅びないように、先祖から続いて生き延びてきた私たちはそろそろ現状をよく見て、自分の住む次元を上げ、森羅万象と繋がっていかなくてはいけない危機的な時期に入っているのではないだろうか?