古いキャラを脱ぎ捨て、新しいキャラを生きる!

風の時代と共に、私の視点が内側へとシフトし、外側の世界が意味のない風景に見えている。

私の魂は内側の世界をクリエイトしていくようにと導いているようだ。

 

今まで、外側に居た私?は自己が外側で成り立っていた。

しかし、2020年末に白内障と糖尿病に突然診断されたこともあり、昨年2021年は外の世界がセピア色になり周りの人のエネルギーを読むことに興味がなくなり、より自分の内側の世界へと意識は向けられていった。

病により私の人生そのものは暗闇になったが、それでもあきらめることなく、わずかな光がさしているところを追いながら昨年は必死だった。

 

よって、2021年の私のテーマは新しい次元での体の再建であった。

呼吸、発声、姿勢、特に食べ物について日々自分に何を食べさせるか?特訓のような毎日を送ってきた。

新しい次元に体をグランディングさせてきたといえる。

2022年に入り、新しい身体の中で、次に自分の世界(男性性と女性性を統合も含め)いかに作り上げていくか?というテーマが加わった。

テーマがはっきりし、さらにライトワーカーとしてのあり方も再度確認した。

 

さて、いかに自分の世界をクリエイトしていくか?というテーマであるが、

自分を表現するためには。まずはとことん本来の自分を表現することだ。

本来の自分でいるためには、私にはどうしても切り離したいもう役に立たない古臭いキャラがある。

そのキャラとは・・・お人好しな自分、はっきりしている自分をごまかして目立たせないようにしてしまう自分だ。

 

本来の私は(ハートは熱いが)クールでアサーティブである。

 

お人好しで何でも受け入れる優しい人というキャラは、生まれてからのものであり、義祖母からの言葉も含めた暴力や母親からに愛されたいという切なる想いから、自ら作ったものだ。

このキャラは親や周りの大人の受けがよい安全なキャラだった。

しかし、このキャラは一見、良い人そうに見えるが、結局は、人に軽く扱われてしまう。

決して、好かれるわけではない。

なぜなら、本来の私ではなかったからだ。

世の中にはお人好しを意地悪したい人や利用したい人がいることも、今までの人生から学んだ。

 

 

昨年から視野が内向きになっとことで、自分に正直に生きはじめると、私にはこのサバイバルのためのキャラがまったく自分にとって良くないことだとわかってきた。

親や周りの大人が本来の私を好きでないから、自分を偽って生きてきたのに。

当然、本来の自分でないキャラだと、社会では成功しないし、結局、人には好かれない。

私が成功をしてしまったら周りの人に嫌われると思い込んでもいた。

男尊女卑家庭で育った兄や弟より、女である私は目立たないようにしていないといけなかった。

 

しかし、自分の領域が見えてきた今、私は冷たいクールな私でいいと思えるようになった。

私の心に愛があればいいのだ。

それを私が知っていればいい。

いちいちこんなに愛があるよと人に説明しなくていいのだ。

また、人と距離を置いているのは本当の意味で人を尊重しているからだ。

逆に人の領域にずけずけと入り込んで、それが気持ちよいと感じることが暴力にもなる。

人は近づきすぎるとかえって互いに傷つけあってしまう、それが人間だ。

 

人生相談などで、子どもの頃に親から虐待にあったが、その親の介護をみることが嫌だ、どうしたらいいか悩んでいるという相談をよく耳にする。

もちろんそうだ、子を愛さず親のうさを晴らすために子どもを利用し、子どもに圧をかける親の面倒を見ることは至難の業だ。

そうなら、なぜ介護で悩むのか?

それは、虐待した親と仲良くしよう、許そうとするからだ。

介護をしたくないけどしなければならない。

そうなるとさらに辛くなる。

そして、親の介護を喜べないことに罪悪感を感じる。

すると、介護することがよけい嫌になり、さらに、自分のことが嫌いになる。

つまり、ネガティブな循環が起こり続けるのだ。

舅姑ならば嫁は他人であるからある程度は割り切れるが、自分の親ともなればそんなに簡単に割り切れないものだ。

子どもはもともと親を愛しているが、ゆえに苦しむ。

 

♥こんな人への私の提案は、

子どもは親への愛を持っているから、自分を赦し離れてもいいと思う。

親にとって冷たい子でもいい。

それでも自分は親を思っていると思っていれば、それでいいのだ。

もし、どうしても親を介護することになれば、何も親に好かれていなくてもいいから、親を大嫌いでいいからと割りきることだ。

そうすれば、割り切って親に接することが少しはできるかもしれない。

完全に赦そうなんて、無理しなくていいのだ。 

完璧でない自分を赦すことだ。

まずは自己受容だからだ。

 

最悪な出来事が起こることに、人はあらかじめ計算できない。

人生は魂の導きによるものだと思っている。

ある意味、そこに何か学ぶためにあると。

だからこそ見えない存在に守られていて大丈夫だと思える。

一見大変そうなことでも、それをなんとか受け入れて行けば最後はうまく行くことになる。

まあ、それでも厳しいことが起こると私は毎回落ち込んできた。 

その時、これは自分の魂を磨くためにあるんだと自分を慰める。

そして、絶対にクリアして見せるぞ・・・と立ち上がる。

この繰り返しである。

 

そう・・・私の新しいキャラは誰に愛されなくてもいいから「クールビュティー」としよう。

今年はこれを目指して生きていこうと思う。