憎しみを掘り下げていくと・・・そこには笑いがあった

2022年が始まりました。

今年もよろしくお願いします。

 

♥ミサエハートリーブログ スタート!

本日は、人が自分を守るために身に着けた仮面がどのように見えるか、仮面を外していくと本音の感情が見えてくるについてお話ししたい。

 

それは、役者が素の自分から役になりきる時の変化を観ているようなものだ。

 

毎回母親のことを引き合いに出して申し訳悪いが、他人より良く見てきたからわかりやすいので許しいただきたい。

誰にも見えるとは思えないほど、人が仮面をかぶる時、わずかな変化がオーラレベルにあらわれる。

それは、寅さん演じる渥美清さんが役に入る時に、見られた変化がきっかけになっている。

彼は晩年病気であったが、その病をおして長年放映されきた映画「男はつらいよ」の最後の撮影時のドキュメンタリーをテレビで見ていた時だった。

渥美清さんが役に入る時、病弱の彼は体を保つのに大変そうだったが彼の出番になった時に、立ち上がった瞬間彼はさっと「寅さん」になったのだ。

みごとに渥美清さんは寅さんを身にまとった。

これはわずかな変化であったが、あきらかに彼の変容を見逃さなかった。

見事なトランスフォーメーション。

役者って、こうやって役になるんだ。

素人の私は、役者はただその役になり切るみたい感じかなと思っていたがそうでなく、その変容は自然な感じでさらっと違う人に変化する。

それを見て驚愕した。

もはや映画のセットの中にはあの病弱な彼はいなかったからだ。

 

それが人が仮面をつける時に似ていると知ったのは、一昨年今亡き弟と母親と私で洋食屋で食事をしている時の、母親の変容を見た時だった。

 

人が仮面をつける時、それは役者のように、すっと有様が変わる。

何か身にまとう感じだ。

 

夕食をどこかで食べたいという母親と一緒に店に入り、弟と母親は私の向かいに座った。

私は彼らを眺めていた。

先ほどまで実家に居た時のように話を続けようとした。

 

ところが、母親はこの店に何回か来ているのか、店の人を気にしてか。店の人が近くに来ると急変したのだ。

この急な変わりように、、、ものすごく驚いた。

 

ああ~人って(もちろん私も)、こうやってやるんだ。

言葉で説明するのが難しいが、素の自分にうっすらとベールのようなものをはりつかせる?感じだ。

透明な膜みたいなものがはりつく。

そして、どうなったかというと、そこらへんの普通のおばあさんが・・・なんと品のいいおばあ様になったのだ。

本当にびっくりした。

母親はこんなことを自然とやっている。

しかし、本人はこの透明膜(=品のいいおばあ様を演じていること)に気づいていない。

寅さん演じる渥美清さんは40年以上?くらい演じてきているので役が完成している。

まるで寅さんが本当に生きているように思えてしまうくらい。

 

同じように母親は長く生きているから、よほど自分がこの上品な女性のふりをしているということを意識しないと、この仮面に気づけない。

この透明膜の完成度は高い。

 

私は怖くなった。

私は彼女に育てられている。

人前で違う自分を演じている可能性は高いのだ。

まあ、それでも一昨年くらい前から私の意識は新しい次元へと意識の変容が始まっていたせいで、この仮面がはっきりと見えるようになり、このことに気づき始めていた。

私はこのあたりから、素の自分を表に出したいと願っていたように思う。

 

それに私は仮面を長くつけられないたちであった。

グループに入ってもみんなと同じにできない。

また、新し斬新なことが好きで、どうしても古い考えをしている人たちやグループの中には長くいられない。

伝統というより形ばかり気にしている実家や、

古いやり方で音楽教育している当時の公立小学校や、

上下関係のある海外駐在員夫人たちの集まりなど、

形を重んじるところになじめなかった。

そこで、うまく仮面をつければいいのだが、どうしても仮面ははがれてしまっていた。

  

それでも、男尊女卑の実家に生まれ、私はなるべく良い子にならないと危険だと思い、4歳の時、子どもであることをやめ、いい子の仮面をつけた。

しかし、どんなに一生懸命やっても両親からだほめられることはなかった。

仮面がすぐにはがれ、本音が出てしまうからだ。

 

今までこの仮面を何度もはずしてきたように思うが、

嫌われてもいいくらい自分の本音を表現しきるところまではできていなかった。

昨年になり、やっと4歳の時に決めたいい人である誓いを破ることができた。

仮面とは、私にとって、この地獄でなんとか生き延びるために身に着けたものだ。

しかし、それが(一昨年暮れに病になり)体に良くないということを知った。

おそらく、不器用なくせに、無理して、良い人、良い母、良い娘などいろいろな人を演じていたからだ。

まあ、地の時代においては、誰もみな仕方のないことだ。

 

しかし、風の時代の生きる人にとっては、この仮面に気づくことは重要な作業だと思っている。

 

自分を発揮しないで死にたくはない。

63歳で急死した弟はそれを教えてくれている。

 

自分の本音を知るにつけ、どんどん過去の嫌な場面が湧き上がってくる。

まるで、深い井戸を掘り続けているようで、見たくないもの感じたくないものがどんどんあふれ出てくる。

それをただ感じ続けている。

ある時、ものすごく怒って、どこまで怒れるか切れる迄やったらどうなるかとやってみたら、、、その下には、なんと笑いがあったのだ。

憎しみの下には笑いがある?・・・人の感情ってそんなもんなんだなあ。