今年は本当に必死に生きてきた。
ある時、朝方ベッドで目が覚め、私の寝ているそばに真っ黒い死神がいた。
その存在は一瞬で消えた。
私は死神って本当にいるんだと驚き、自分の体が大変な状態になっていたことに気づかされた。
昨年末に病だとわかり、さらに3月に弟が急死してしまい、私は奈落の底に落ちた。
その存在を見て以来、私は暗い闇の中から何とか這い上がろうと光だけを求めて必死になりいろんなことをやってきた。
今までやったことのないことをやったし、行ったことのないところにも行った。
それでも、アップダウンと気持ちが不安定になり鬱っぽくなったりした。
しかし、唯一の導きが私を温かく見守ってくれていた。
そうやって、生きることに必死になりもがいていると、いろんなものが自分から振り払われていった。
特に、今までやってきた良いこととか、経歴とか、いい娘いい母親とか、使命とか、役目役割とか、体裁とか、みてくれとか、私が生まれて以来、体験してきたそれらものの正体がくっきりと見えてきたのだ。
そして、それを観ているうちに、一体、私は何者か?ということにぶちあたった。
自分はどこどこに長女として生まれ、どういう学校に行き、社会に出て教師になり、結婚して、母親になり、スピリチュアルの世界にハマり、海外に行き、離婚して、人を助けたいと仕事をはじめ・・・といろいろあり、そして、・・・で?
それが、なんなの?
いいことをしてきた、それがなんなの?
死ぬんだよ。
今年はそんな問いかけばかりしてきた。
それでも、過去の私はやり残しがないと自分に言える。
ただし、今までは。。。だ。
しかし、こうなってみると、私は自分を全然さらけ出して生きていないことに気づいた。
あれ~私こんなもんじゃないぞと思った。
そこで、自分を開示することにして、このようにブログで少しずつ自分のことを書きはじめた。
それまでは、スピ系のいい話、きれいめな話を書いていた。
そして、その中でも、驚くのは世間的な役割が終わってしまったことだ。
親の娘役、子どもの母親役がまったく未練もなく、思い残すのこともなく終わった。
振り返ると、娘役・母親役を一生懸命になりこなしてきたことで、あっさりと降りることができたのだ。
この親子の役割を終えるプロセスはそんなに簡単なものではないと思っている。
もし、誰かが自分も親子の関係を終えたと言えるなら、その答えは自分と関係する相手(親か子)にはっきりとわかる。
まったく甘くない。
関係ははっきりとなくなるからだ。
もっと言えば、今生二度と相手と会わなくもいいくらいになる。
もし不完全な終わり方だと、親子の関係はまだだらだらと続いてしまうだろう。
そして、その不完全さが長く続くと必ず親子間で問題が起こってくる。
あっさりと終わる方が互いに精神的に健康である。
私はこれを本当の意味での地球での自立と呼びたい。
(酸いも甘いも味わい人間勉強が終わり)ここから始めて本当の自分の人生が始まる。
私の場合は、この地球の入る前に決めてきたこと、宇宙との共同創造、地上の楽園を作る仕事がやっとスタートできるのだ。
今後これについてはブログでも書いていきたい。
まあ、それにしてもこんなにみごとに身内も他人も同じような感覚になるなんて、今でも信じられないくらいだ。
普通、情で生きている人は、私の体験をなんて水臭いことだろうかというかもしれない。
ここまでくると、私は宇宙由来の魂だったことも思い出した。
地球や人間が苦手だったが今はとても愛している。
そして、いい塩梅に、それらとはちょうもどよい距離を持っている。
そんなことをこの一年で感じてきた。
★来年も引き続き、このブログを書いていきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
今年は私も、そして、あなたもよくがんばりました。
あなたにとって、来年2022年が素敵な年でありますように♥♥♥