本音を生きると本当の仲間に出会える!

今まで人と気楽なつき合いというのができなかった。

いつもどこかで気をはって生きてきた。

力が抜けなかった。

切羽詰まっていたのだ。

母親に、私とは普通に話せないとか、考えすぎているとか、深刻すぎるとか言われてきた。

 

子どもというのは、自分の周りの環境に身の危険を感じる場合、気楽になれないものだ。

実家で私はまったく安心安全ではなかったのだ。

いつこの親たちに裏切られるかを心配していた。

私は緊張して大きくなったのだ。

ものすごく体に力が入ってもいた。

外面優先の母親からは、人前ではいい子・いい人になるように強要されてきた。

私の自由を許さない、何でもダメだと抑えてくる、さらに、母親は外に都合を合わせているために支離滅裂な思考をしていた。

私は頭が変になりそうだった。

こんな環境で、将来、鬱にならない方がおかしいというような不安定な環境だった。

むしろ、私は家の中の、針のむしろに居るより、学校に居る方が楽で安らいだくらいだった。

内弁慶の兄や弟とは違い、私は外の世界では比較的自由に振舞うことができた。

外に行くと元気になった。

 

しかし、それでも、自分を抑え母親のように外面を良くしないといけないという刷り込みも強きあった。

そのせいで、人とちょうど良い関係を築きにくかった。

母親に自分の領域を侵されていたので、他人とほどよい距離感がまったくわからなかった。

当然、娘たちともなかなか難しかったが、欧米の個人主義教育を受けたせいもあり、彼女たちの潔い独立したあり方があったことで、私は彼女たちから(良い距離を保ち)離れて立つことができるようになった。

 

人との距離感、相手を尊重する距離を保つことは、情を重んじる日本では難しい。

母親は私と娘たちの距離が冷たく水臭いと言う。

しかし、私と娘たちには安全で気持ちのいい距離なのだ。

これなら、いつまでも仲良くできる距離だ。

母親のように近くに来てべたべたして失言しているのに平気、その方が私には危険である。

それが彼女には身内感覚なのだ。

自分の娘=ものと思っているふしがある。

 

私が長くヨーロッパで暮らしたことで、西洋的な個人を大事にするという感覚を学んだ。

これを学んでこれなら私でも友人ができると思った。

知り合った海外の人とは誰と話しても気持ちよい関係を作れた。

それでも、なお自分の心を完全には解放できなかった。

 

そこから、日本に戻ったのであるが、

日本的な、身内とは濃厚なつきあいをして、都会では隣に住んでいる人のことはよ一切知らないという、日本のつき合い方になかなか慣れなかった。

開きかけた私のハートは、また閉じなければならなかった。

こうして、日本では建て前と本音を使い分けるということをしなければならなかった。

 

しかし、それでも私はスピリチュアルの仕事を始めたので、一度開きかけた心をオープンしたまま仕事では頑張ってきた。

まあ、それが良いか悪いかわからないが、相手の怒りを受けることになり、自分は深く傷つくことになった。

それは、違う言い方をすれば私の心は鍛えられていった、かもしれないがそれは病になるまで続いた。

 

そして、このブログでも書いているように、昨年末に風の時代のエネルギーを受け、病になったこともあり、私は心を全開にして、本音の本音を語ることをはじめた。

 

もはや、意味のない会話や世間話などしなくていいし、相手に合わせて話さなくてもいい。

人のうわさ話や世間話などしたい人は、別に私が相手でなくてもいいのだ。

類は類だ。

 

たとえ、親といえど生きる価値観が違うと会話はまったく通じないものだ。

それなのに、凝りもせず、長い間母親を説得しようとものすごい時間とエネルギーをかけてきた。

これがどんなに無駄なことだったことか。

母親は私の話し(人の進化)などさらさら興味はない。

むしろ私からエネルギーはほしいだけなのだ。

母親は自分がしたい話ができる相手と話せばいいだけなのだ。

 

つくづく、この世の家族はお互いの魂を磨くための関係に過ぎないと思っている。

 

こうして、自分と向き合い、自分の本音を知り語ることで私はリラックスしている。

そして、自分を愛おしく感じるようにもなっている。

 

これから、(波長の法則である準備ができている)仲間と出会うことになっていると信じている。

本当の仲間との再会をワクワクしながらとても楽しみにしている。

 

それは、波長だから自然なもの、そこに何の説明も説得もいらない。

ただ、わかる・・・のだ。。

 

♥風の時代のせいか、今、あるレベルの人たちはツインソウルに出会う機会が増えているようだ。

なかなかすてきな時代に入ったものだねえ~。

クリスマスイブの日に。