私の場合、いろいろなスピリチュアルを学んでも、そこにずーっと居続けることはなかった。
どうしてもそれはその人のもので、私のものではなかったからだ。
また、それをそのまま学んでも、自分の体(チャンネル)を通して腑に落としていけば違うものになっていく
それは、ある程度オリジナルになるかもしれない。
たくさん情報を知っても、それはいつも参考程度にとどまっている。
もちろん、すべてが自分オリジナルではないが、私にとって自分がクリエイトした世界が面白い。
思うにこの世に絶対に正しいことやものはないと思っている。
以前は正しくありたいと優等生的にそう努力し自分は正しい道を歩いていると思いたかったが、今は自分は自分の世界でそれでいいのだと思うようになった。
また、時代が変わると、その考えそのものが変わってくる。
新しいことを知ると、その時はそうだと思っても、やがて変わっていくこともある。
つまり、この世に絶対はないんだと体験的に学んでいる。
日本人は人のマネをするのがうまいと言われてきた。
欧米で作られたものを、それを日本持ってきてもっと良いものを作って逆に輸出していたくらいだった。
しかし、時代は変わり、これからはオリジナルの時代になり、他人のものをマネしている人はどんどんと難しくなっていくと感じている。
人のものを自分のものとしてやっても通用しない時代になると読んでいる。
ブログもオリジナルなものの方が面白い。
かといって、奇をてらいすぎるのも、ネットに賢くなっている読者には受けていかないかもしれない。
特に昨今のスピリチュアル的な話はみんな同じようなことがきれいに書いてある。
よって、誰の記事を読んでもああそうかくらいになる。
それはそれでスピリチュアルの基本でいいのかもしれないが。
これからは、その人の世界観、その人の独自のもの、その人が自ら体験してことをリアルに書いたものを読んた方がためになる。
きれいなことを書いても、いっこうに読者には突き刺さらない。
まあ、私の場合は、常に自分の実体験の方がすごすぎて、きれいなスピリチュアルの記事を読んでも、ふーんで終わってしまう。
そういう私もかつてはスピリチュアルの優等生を目指していた。
かっこつけてきたつもりはないが、私は知っているのよ・・・と上から目線のアプローチになってしまっていたかもしれない。
わかっていることもあるが、わからないこともたくさんあるのが人間だ。
立派な人でも、天使でもないから。
まあ、おかげさまで、今は、赤裸々に自分のことを書けるようになってきた。
もう本音を隠せないからだ。
そのことにより、より不思議な世界を書くようになっていくだろう。
頭がおかしいと思われても。
今後、私にとってスピリチュアリティはアート表現になっていくだろうと思っている。
私自身がアートになる・・・のかな。
★それと共に。。。霊的世界より物質世界を大いに楽しむことも始まりそうだ。