朝早く目が覚め、再度ベッドの中に入ると、まどろみの中に亡き父が現れた。
父をこんなにリアルな感じたのは3年前に亡くなって以来はじめてのことだった。
彼は「88歳になる存命の母と遠くの方に長い旅に出かけるけど、いいか?」と、、、優しくテレパシーで伝えてきた。
私は彼が亡くなっていることも忘れて「あ~そうなの、いつからいつまで?どこに行くの?」と興奮して尋ねた。
しかし、その質問に父は黙っていた。
そこで、突然目が覚め、あ~これって、母があの世に行くための高次元からのお告げなのかもしれないと思い思わず泣いてしまった。
そして、私は彼女にとって良い娘だったか?
たくさん連絡してたくさん会いに行くことができたか?
など、反省してみたが、これはどのくらいやってもきりがないことだ。
今までたくさん話をしたり、言い合いしたりして充分すぎるほどに母のことはやりきってきた。
これ以上自分を責めてもなあと思った。
時間が経つうちに・・・そうだ、母にとっては大好きな父が迎えに来てくれるのはめちゃめちゃうれしいことだ。
ふしぎに父は母の夢には出てこないと言う。
どちらかと言うと、母の一方的な父への片思いなのだ。
だからこそ、母にはうれしいことだ。
母が父の迎えを受け入れることは娘としては悲しいが、いつ死んでもいいと思っている母にはうれしいことになる。
つまり、それは悲しむのは自分のため、母のためにはうれしいことになる。
そして、私は母に直接にそれを伝えるために電話をしてみた。
驚くことに、母はその日に彼女の実家の(自宅より遠い)お参りに、バス地下鉄タクシーに乗り換えて一人で出かけたと言う。
なんと、元気なことか!
う~~ん?
まだ死にそうにない。
私は夢の話をした。
亡き父が母を迎えに来てくれると伝えてきたから良かったねと言うと、
私の霊的な力に疑心暗鬼な母は???という反応であった。
そこで、私は尋ねてみた。
もし、亡き母(祖母)と、亡き息子と、亡き父(夫)のうち、誰が迎えに来てくれるなら一番うれしいかと?と尋ねた。
母は、間を置かず、亡き父(夫)だと言った。
やはりそうだ、亡き父(夫)が迎えに来たら、母は迷わず逝くのだろう。
さて、今回、母に電話して、あらためて元気な母を知り、これはどういうことなのか?
彼女はすぐに逝くようには見えない。
待てよ、この夢は私に訪れたものだ。
つまり、私にとっての覚悟を促しているのかもしれない。
彼女が逝っても逝かなくても、私にはある程度その覚悟はできている。
この夢のメッセージをもっと深いところで納得するのは・・・
母は私の憎しみの元凶であり、それこそどうにならない私の執着そのものであった。
大好きだけど憎いという、長く続いた苦しみだ。
この夢は、高次元の存在(あるいは、ハイヤーセルフ)が亡き父になり、もう執着を手放す準備ができたから母(執着)を持っていくよ、いいか?と伝えてきたのだ。
この解釈はしっくりと納得できる。
そうか、私の執着はもうなくなっていいと・・・ならばゲームオーバーとなるんだ。
あ~もうそこまで来ていると感慨深く思った。