人生が先に進めない時、自分の中に何か気づきたくないものがある。
それがあるとブロックになって、人生が新しく踏み出せない。
私自身、その気づきたくないものとは?
それは、過去の人間関係に失望した自分だ。
つまり、私は人間関係をうまく作れなかったことに罪悪感を感じていた。
そうだ、その気持ちをそのままにしておいたのだ。
つまり、失望したままにして、これを乗り越えていなかった。
ここから先に進んでいくためには、人間関係の作り直しを始めることだ。
私は長い間人のあり方について学んできた。
そこから、私がつきあっていく人と絶対につきあってはいけない人があることを知った。
過去の体験から後者の人とはどんなにうまくやっても、うまくいくことはなかった。
そこで、私は長く自分を責めてきたが、この罪悪感を手放すことにした。
今、ある領域の人たちは、私のように本音の自分を生きるようなエネルギーを受けているのではないだろうか?
自分を抑えてがまんして合わせていくようなあり方は、2022年以降通用しなくなるからだ。
これは、今までの日本人のあり方とはまったく違う人のあり方である。
嫌なことは我慢しない、長いものには巻かれなというあり方である。
今までのように我慢しても人に合わせて表面だけでも仲良くしたい人と、あくまでも自分の本音に従って生きたい人に分かれていくだろう。
この選択はどちらでもいい。
私の場合は、本音の自分で生きる方を選ぶ。
相手から拒絶を感じているのに、仲良くしなくていい。
私を好きな人、私が好きな人とつきあえばいい。
これは合わない人同士、お互いにとっていいことなのだ。
時代は風の時代である。
もう我慢して生きる時代は終わり、ひとりひとりが主役の時代に入ったのだ。
地の時代は周りと比べて生きる時代だった。
周りと比較することで誰かを恨んだり、誰かに嫉妬したり、誰かを憎んだり・・・それらは地の時代の特有のものだ。
軽やかに生きる風の時代、私たちはどうありたいか?
2022年に向けて、自分のあり方が根底から変えられていく。
黒いオセロがいっきに白に変わる感じだ。
私のような感覚を持っている人たちは今、古いものの浄化が行われているのかもしれない。
本音の本音の自分で生きていくために。
合わないパートナーと一緒にいることにも限界を感じていることだろう。
昨年まではだましだまし何とか我慢してつきあえたとしても。
しかし、今年に入ってもまだ我慢できている人ならば今までの世界の住人であるから問題はないだろう。
それはどちらでもいい。
私の場合、周りには嫌な人はいないが、これから新しく出会う人にはいい顔しないで本音を言うことにしたい。
もし、嫌な人がいたらその気持ちをはっきりとノートに書きなぐる。
これをやると、自ずとその嫌な人のそばに行く意味がないことがわかるからだ。
自分の本音に気づいていけば、たとえ、そういう人がそばに来てもまったく影響されなくなるだろう。
ところで、これは人だけではない。
物も場も同じだ。
自分に合わない場所は居心地が悪いものだ。
たとえ、素敵な場所のように見せていてもだ。
また、自分に合わなくなった物(食器・本・服など)も同じだ。
私は長くお気に入りのワイングラスを手放せないと思っていた。
しかし、今は使っていない。
今後も使いそうもない。
よって、今手放そうか迷っている。
なぜなら、私が死んだとき、それが、遺族に良い(合う)かどうかわからないからだ。
私には宝物でも、娘たちにはガラクタに見えるかもしれない。
こうして、合う合わないをわかって生きると、人や物についてそんなに悩まなくなってくる。
好きな格好をして、好きなものを手に入れ、それらをうんと楽しむ。
その気がすんだら、あっさり手放せばいいだけだ。
人生とはそんなものかもしれない。
さてさて、私は軽やかに、、、次に自分に合う人や物や場所を選びながら進んでいくことにしよう!