頭でいろいろ考えすぎると何も決められなくなる。
直感で決めても、後から頭であれこれ考えてしまう。
考えすぎてわけがわからなくなる。
特に新しい選択をする時には、どうしても過去の失敗が気になる。
知らないこと(ところ)なのに選んでどうなるだろうか?と心配してしまう。
自分の知っていることには限界がある。
考えれば考えるほど、迷えば迷うほど、決められなくなる。
私の場合、こうなると、もうえいっ、どうにでもなれと、新しい選択にダイブしたくなる。
それは谷底に飛び込むバンジージャンプようなものだ。
いったん死ぬ、、、みたいな感覚である。
とにかく、飛び込んでみる。
間違えたら、間違えたことがよくわかるだけだ。
やらないよりやった方がいい。
私は人生がマンネリ化するのが苦手だから、現状が変わらないことに耐えられない。
・・・そんな私は今朝方、象徴的な夢を見た。
私は海外にある高層(100階建て)の高級なホテルにチェックインしてから泊まることになっている部屋に入るためにエレベーターに乗った。
ところが、私は泊まる階がわからない。
部屋の番号もわからない。
エレベーターで最上階まで行ったり、下の階に降りたり、レセプションで尋ねてイライラしたり、途中で変ない人たちにからかわれたり、ホテルでなにかのイベントをやっているのか動物(ペット)たちに囲まれたりして、、、私ただ部屋にたどり着きたいのに、なんでこんなに時間がかかっているのだろうか?と焦る。
さらに、このホテル近くのバスに乗り込んだり、違うビルからこのホテルに入るために再度エレベーターに乗ったりして、そのエレベーターに過去の嫌なタイプの女性と乗り合わせたりした。
それでも、なかなかたどり着けない。
もう困り果ててしまい、そこで目が覚めた。
ぼーっとしながら先ほどの後味悪い夢を思い出してみた。
なぜ、あんなに時間がかかったんだろう。
なぜ、部屋がわからないんだろう。
私のポケットには確かにホテルの部屋の鍵があった。
それなのに、それを取り出して確認しなかったのだ。
頭でわかっていると思っていたのだろうか。
シンプルに鍵を見ればそこに部屋番号が書いてあるのに。
部屋に入る権利があるのに私は部屋にたどり着けなかった。
実際に、今の私は次に住む部屋を探している。
しかし、なかなか決められないでいる。
一体日本のどこにあるのだろうか?とそれがわからない。
つまり、私の夢は自分が落ち着く部屋をわからないでいるという状況を表していたのだ。
もうその部屋は決まっているのに、私はそれを受け入れていないのだろうか?
今年私は焦ってある土地を2回も見に行った。
それなのに物件はなかった。
場所が違うのだろうか。
私の頭はそれはどこなんだろうか?と必死になって探していた。
しかし、その場所は私の中にあるということだ。
もうすでに(住むところの)鍵があるのだから、私は焦ったり心配したりして悩むのをやめた。
私の頭は常に私を迷わせ、新しく先に進ませないようにする。
それは私を守るための防衛本能かもしれないが、新たな道へとチャレンジするのを阻む、無駄な存在でもあるのだ。