思いきり生きてあっさりと死ぬ、それが人生なんだなあ

前回は母親の嫌な役目について娘の立場で書いたが、

今回は私自身母親の立場から眺めていくことにする。

 

親についてさんざん悩んできたので、私は嫌な母親になりたくないと思ってきた。

しかし、娘たちから見れば、甘いくらいやりすぎる親だったと思う。

もっと離れてほしい存在だったかもしれない。

しかし、当時の私は母親としてこれが精いっぱいのあり方だった。

それに、この世界のどこにも理想な親子関係というのはないと思う。 

 

今の私は、

人はただいろいろな人間関係から「己」というものを学んでいるだけで、

周りに人がいても、結局すべては自分の世界の現れだということだと思っている。

 

現代はネットでなんでも情報が手に入る。

よって、愚かな体験や失敗はある程度回避できるようになってきている。

いかに人とつき合ったらいいか、人とうまくやるにはどうしたらいいかなどの方法がネットにはたくさん転がっている。

もう親が子どもに教えることは他に何かあるのだろうか?というくらいだ。

 

ネットがなかった時代は、自分で調べて試すしかなかった。

それにより、リアルな人生を送ることになる。

七転八倒しながら、現実を体験する。

ネット情報を知っている人には、そんなことは無駄なことに見えるかもしれない。

アナログな体験だからこそ、自分の中に深くしみ込む。

頭の中だけでの解釈だけでは心の喜びや痛みはあまり感じられない。

その分、人との軋轢や衝突は少なくなるが、直接的な熱い触れ合いはなくなっていく。

だからこそ、下手くそでもリアルな親子のぶつかりあいは深い体験(魂の癒し)となる。

 

さて、もうすでに大人になっている娘たちを私はお腹に居る頃からずーっと見て来て誰よりも彼女たちを理解していると思っていた。

そして、彼女たちに人生の先輩として背中を見せたいと強く願ってきた。

ところが、昨年末、私は順風満帆な母親から、自信喪失の自分に落ちてしまった。

健康そのものだった私は昨年末突然、病(糖尿病・白内障)に罹っていたのを知った。

そのことにより、私はどんどん周り人から離れ、自分の人生だけを見るようになっていった。

私の人生はもう終わりゆくのかなあと落胆している矢先、弟が急死した。

失意の中、私は精神的に暗闇の中に入っていった。

初めて味わう「孤独」の状態というものだった。

弟もそうだが、今まで頑張って生きてきたのだ。

昭和の時代はみんな頑張ることが美徳だった。 

 

今まで作りあげてきたしっかりものの私は崩壊していった。

こんなにスピリチュアルを学んで、まじめ時やってきたのに。。。

私が受けてきた親からの仕打ちを娘たちには決して味あわせたくないと願い、子育て・心理学。スピリチュアルから宗教に至るまで、本や講演などを貪欲に学び続けてきたのに。。。

まともな母親になろうと必死にがんばってきたのに。。。

 

それでも、私はへこたれたくない。

暗闇の中で、なぜ自分はそうなっているのかを見つめ続けていると・・・

そこには、娘たちや母親やクライアントという、外の世界の大切な人を、なんとか助けたいという強い執着が起因していた。

その想いは間違えると、相手をコントロールすることになる。

病になったことで、この強い執着がわかったことで、強制的に手放すことになった。

そのおかげで、娘たちと他人のような距離がとれるようになってきた。

離れた分、お互いに楽になっているのだ。

これは私にとっては奇跡的なことだった。

逆に言えば、私が今でも元気いっぱいだったなら、これほど強い執着に気づくことはなかっただろう。

 

そうなのだ、風の時代に入り同時期に私は病とわかったことで、親子という上下関係から個の関係へと飛び乗ることができたのだ。

私はやっと自分の人生を生きることが始まった。

このブログはその一環でもあり、かっこ悪くても本当の自分をお見せしている。

 

病や事故というのはその人に与えられた、体からの宝物というギフトなのだ。

私はそう思いたい。

不慮の事故、予期せぬ病の宣告、嫌でも死と向き合うなど、地獄のような日々を送る可能性は誰にでもある。

お年寄りだけでなく、子どもでも、若くても、大変な時を過ごしているかもしれない。

地球に生きるということはなかなかの試練だと思っている。

 ・・・と思いながら、苦しいのは自分だけではない、他の人たちの大変さを共感する。

 

私は孤独を感じたと書いたが、それと同時に、人の苦しみを共感できるようになった。

この共感はどこまでも私を穏やかで優しい気持ちにさせてくれる。

  

そして、なんと言っても、今年3月に亡くなった弟が私に平安と勇気を与えてくれている。

ああそうか・・・いざとなったら、彼みたいに、あっぱれこの世から去るだけなんだ。

彼はリアルにそれを私に教えてくれている。

彼を想い、会いたいと泣くけれど、その後に私の心は温かくなる。

弟は生きて死ぬってこういうことだよ・・・と私に伝えてくる。

私はもう孤独ではない。

 

成功や健康など、幸せを追い求めることもいいが、

ぶつかってもいい思いきり生きて、そして、あっさりと死ぬ・・・人生これでいいんだ~、