本当の自分を表すと相手が変わってしまう

私は今、白内障の手術を受けることについて様子を観ている。

私の魂は何も言わないで、静かに私の選択を観ているようだ。

まずは自分はどうしたいか?

医者なら誰でも偉いと信じ込んでいる親に育てられたことで逆に医者に不信感を持ってしまった。

何でも相手を上に見て盲信してしまうのは危ないことだと学んでいる。

親は医者がそう言ったからとそうするが、結果が良くないと簡単に医者のせいにする。

今の私は西洋医療に対して否定する気も肯定する気もない。

もし、自分にそれが必要なら受けようと思っている。

 

人生は他のことも同じである。

まずは、自分がどうしたいか?

自分が住むところ、つき合う人、着る服、食べるもの、働くところなど、何を選ぶかは大事なことだ。

誰かに相談して選んでもらっても、結局、自分で選択していないので心底うれしくない。

 

誰かかそう言ったから、そうしたと思って生きている人は、人生がつまらないものになっていく。

刹那的になりただ死んだように生きることになるかもしれない。

 

自分のことは、面倒でも自分で選ぶ方がいいということだ。

 

また、たとえ好きなことを仕事にしても、共に働く人や働く場所が合わない場合はそのままにしない方がいい。

なぜなら、自然界が流転しているように、人も物も常に変化しているからだ。

居心地が良くないのに、そこにとどまっていると、流れは滞るので腐っていくだけだ。

何十年も同じところで働いていても、常に本人が変化している場合は、いつまでもみずみずしく働ける。

しかし、自ら何も変えないなら、どんどんマンネリ化していき能力は低下していく。

やがて、若い人の方が間に合うようになるので、職場にいたたまれなくなり、結局、辞めることになるだろう。

 

人生は自分で決めることにつきる。

すると本当の力が湧いてきて良い情報もやって来る。

 

さらに、自分で決めるようなると人生は自分主導になり自分を優先できるようになる。

すると、今まで自分を取り巻いていた世界は変わってくる。 

 

その証拠について、ちょうど今、体験したのでここに書いてみることにする。

私はあるコーヒーの専門店に10年近く通っている。

感じの良い店員さんばかりの中、苦手な店員さんがいた。

投げやりな対応で面倒くさそうにするのが気になっていた。

先ほど、その店に入ってこの苦手な店員さんがメニューを持ってきた。

そのメニューに新しいコーヒー豆の品種が書いてあり、この品種について尋ねたくなった。

すると、この苦手な店員さんはよくわからないと言う。

私に不意を突かれたのか不満そうだった。

 

私は客のために新しく良い豆の品種を提供している顔見知りのオーナーに、新しい品種をスルーしたら彼に失礼かなあ・・・と思ったのでどんなものかあえて尋ねてみたのだ。

 

その後、私の予想していなかったことが起きた。

つまり、あのつんけんしていたその店員さんはその品種について調べて私に伝えに来てくれたのだ。

そして、私がお手数をおかけしてすみませんねと言ったら、いいえ、自分も知らなかったのでためになった、調べてわかると他のお客さんにも伝えられる、ありがとうございますと言った。

それを聞いて私はとても驚いた。

きっとこの店員さんは怒って文句を他のスタッフに言っているだろうと思っていたからだ。

 

もともと私には他意はない。

しかし、今までの私は自分の意見や考えを何気に言うと批判を受けたり、誤解を受けたりしてきた。

そのために、自分の言葉や態度を曖昧にしてきた。

 

しかし、今回、相手の態度が変化したのは、おそらく、以前に比べてどう思われてもいいから。そんなことより、自分を優先し、素直に自分を周りに表現しようとはじめたからではないだろうかと分析する。

自分の本音を表現していくたびに、私の中の毒気も薄まっているのもしれない(笑)

 

自分を隠さず抑えないでいると、より自分の真意が相手に伝わるのだ。

 

本来、人の心のベースには「愛」という温かいものがある・・・ということを深いところで知っている。

過去生も含め、長い間、私は人に裏切られたり、人を疑ったり、人に怒り憎みを抱き、人に不信感を感じできたが、ようやくこの呪いを解き始めている。

 

本来の自分を生き始めることで、、、。