レイライン屋の私がこの地に呼ばれて

コロナ後、この先、人は何を信じてどう生きていくのだろうかと考えた時、

たくさんの選択肢があるように見えたり、その反面、まったく希望がないように見えたりする。

それは自由であるように感じるが、その分、不安も大きいのではないだろうか。

 

これからの世の中は絶対にこうだよというものがなくなり、

こうした方が正しいということもなくなるだろう。

だからこそ、自分はどうやって生きていくのかを問わなければならなくなる。

少なくとも自分のことを大切にしている人なら、この先のことを憂いている人は少なくないだろう。

 

と書いたら、隣の若い20代くらいの男の子のイヤホンが私の足に飛んできた。

こんなことあるのかしら?

彼みたいな人達こそ、悩んでいるのかもしれないなあとふと思った。

 

さて、私もこの先のことを考えると、何をしていけば社会に(人に)貢献できるのだろうか?と考え込んでしまう。

世の中、どんどんデジタル化していき便利になっていくために。人は深くものごとを考えなくなるのだろうか。

どんどん情報も個人も管理されていき、人でいるよりデジタル化されたロボットのような人でいる方が楽だというような方向に進んでいるように見える。

それも人類の選択なのだろうか。

  

私は福岡に行ってきた。

レイライン屋(エネルギーラインを歩き土地のツボを押す指圧師みたいな役目)の私はいつものように呼ばれたのだ。

(これはもう何年も前から勝手にやっていることで、世界日本のどこかの土地に呼ばれるような感覚を感じるとその地の神社やパワースポットに行くことになる)

福岡では世界遺産の宗像大社に参拝した。

はじめて行くところだった。

この地に立ち、この三女神の女神たちのパワーが私に必要なのだと思った。

この大社に到着し本殿に進むと、すてきな衣装の結婚式が執り行われ始めた。

美しいおすべらかしの新婦、、、すてき!

私はこの女性のような恰好をして、かつて神社で挙式を上げたんだなあ、24歳の若い自分に想いを馳せた。

ある意味、今回結婚式を見たということは、私の中の男性性と女性性の統合と捉えている。

(余談であるが、この堂々とこの大社で挙式するカップルは若くなく、立派な大人の50代?だった)

 

さて、この大社の中の「高宮祭場」の前に立った時、私は鳥肌が立ち、自分はここに来るために福岡に呼ばれたとわかった。

祝福を受けたように感じた。

 

その帰り、一時間に一本しかないバス停で待っている間におしゃべりしたおばあさんとバスをご一緒して、JRの駅でサヨナラしようとしたら、このおばあさんは私に「お菓子を買ってあげる」と言うのだ。

私はお菓子は食べないから、お気持ちだけいただきますと丁寧に断ると、それなら「チョコを買ってあげる」と言う。

一体、67歳の私をいくつと思っているのだろうか?

もう笑ってしまい、心が一気に和んだ。

それでも、お断りしておばあさんと別れて電車に飛び乗ってからもおかしくて・・・心が温かくなった。

 

彼女は「女神様の使いのもの」かもしれないなあと今はそう思っている。

  

おばあさんは私にあなたは優しい人だね。

だから、お菓子を買ってあげたいと言いながら、

でもね、それはね、私(おばあさん自身)が優しいから、あなたみたいな人と出会ったんだよというオチ。

再度、笑ってしまった。

さらに、遠くから来ている私に、毅然とまた次回ここで会うかもしれないよという予言まで残したのだ。

やはり、女神の使いに違いない。(笑)

 

今回の旅では、

福岡では奇跡的なくらい良い想いをたくさんした。

素朴な良い人たちに親切にされたのだ。

また、ぜひこの地に来たいなと思った。

そして、ここで仕事をして貢献したいな強く思ったのである。

そのために、11月5日さそり座新月、私はライトワーカーとしてまずは自分の光を強くすることを誓った。