古い自分と新しい自分のせめぎあい

今まで何度も過去と決別しようと思えば思うほど過去に戻ってしまっていた。

 

古い過去の私は今の私にここにいたら安心だよと言う。

そのためには病になってでも、私はここにいたらいいと思っている。

 

病になったのは私が悪いからだろうか?と自分を責める。

罪悪感で動けなくなっているのだ。

ここから逃げたい、誰かのせいにしたい。

あいつがそう言ったから、あいつのせいで私は前に進めないのだ、とそう思いかった。

かつて前進することに私の両親は猛烈に反対したかもしれない。

しかし、もうそんなことは今の私には意味がなくなっている。

そのことに気づくと自分が嫌になる。

 

私は自分が新しく前進することに躊躇していたのだ。

 

え~っつ、自分が自分を抑え込んでいた???

そうなのだ、自分を守るために動けなくしていたのだ。

 

このように、私には自分を守るために過去から今まで。たくさん自分で編み出したアイディアや考えやルールがある。

それを手放すことにしようと思う。

 

あんな苦しみ、あんな悲しみ、あんな恐怖を感じていた私、

外では元気にふるまい、夜は眠れないほど怖がっている私、

人には言えない苦しみを感じていた私、

だからこそ、そんな私を守ってきたアイディアや考え方やルールがある。

今まで精神的にバランスを崩さないように生き抜くために私なりのサバイバル方法を作ってきた。

 

人を疑う私、

親だとしても信用したら裏切られてしまう私

人に恵まれない私、

きっと愛されないだろう私、

男性には特に怒らせないように気を使ってきた私、

人に真を突いたことは言わない方がいいと学んできた私、

よって、(男性優先社会の)世の中に対して、今まで自分をあまり出さずできるだけ抑えて生きてきた。

もうそれに慣れてしまっていたのだ。

 

風の時代は容赦なく私をあおってくる。

いつやるのか? 

もう時代は来ているよと。

 

昨年のグレートコンジャンクションの日に私が病になっているとわかったことで、私にもう後はない、じょじょに表に自分を表すことにした。

こうして、ブログにも自分の本音を書き始めている。

 

まあ、60年以上も自分を隠してきたつもりだったが、周りの人には私の本性は見えていたかもしれない。

これを自覚しても、まだまだ自分を守っている私がいる。

尻込みしている私がいる。

あーできないならそれでもいいじゃん、ここで死ぬのかな~なんて弱気になる。

年齢的にも・・・どうなのって、そんなこと今まで気にしなかったのに、病になり弟が急死してしまい、私は年齢を気にし始めている。

 

なんて情けないと思いながら、それでも、あきらめない私がいる。

よしよし私はもう自分を責めないよ。。

 

目もよく見えないし、食べるものにも気を使わないといけない今、なんと不自由になったことか、それでも私には導きがある。

暗闇の中の一条の光、、、それが頼りなのだ。

 

わずかな光だが、、、それでも、必死で光を見つけてそこに進もう。

 

頭がいろいろと言ってくる。

そんなことしてそこには何もないよ。

そこに行っても楽しくないよと、、、ささやき続ける。

 

それでも、あきらめたくない私、この深刻なささやきに耳を傾けずに歩んでいこう。

 

まあ、たとえ失敗してもそれでもいい、ライトワーカーとして、光に向かっていこうと思う。