テレビだけが残された友達のように、テレビを観ることが唯一の生きる日課になっている老人、
常識がそうだから、近所の人がそうしているからということを鵜呑みにしている老人、
こういう老人のエネルギーは古くなり固まっている。
柔軟性がなく新しい考えが入りこむ余地がない。
今まで自分の頭で考えることはしてこなかった。
むしろ、そんな面倒なことはしたくない。
テレビやラジオから毎日たれ流される情報を何の疑問もなく受け入れ飲み込んでいる。
このような人は独創的な人を嫌いになり、みんなと同じようなことを言う人やテレビで話しているようなことを言う人に安心する。
これは私の両親をはじめ、周りの老人たちのあり方であった。
長く続いた地の時代では、このようなあり方は仕方のないことだったのかもしれない。
よって、彼らは
なぜ、ここまで生きてきたのか?
今生の人生からの学びは何であるか?
自分の人生に繰り返し起こっている厄介なことやそのテーマは何か?
人との関係において、今までいかに関わってきたか?
自分の子どもとどういう関係を作ってきたか?
死にゆく自分をどう受け入れているか?
など、このようなことと真剣に向き合う気はない。
そんな小難しい時間さえ無駄と思っている。
人生をいかに終え、いかに死んでいくかなんて、考える方がばかばかしいとさえ思っている。
しかしだ。その裏にある心は、自分が生きてきた人生を見なおすことが本当は「怖い」から見たくない・・・という深層が潜んでいるのではないだろうか。
人の貴重な人生を眺めていると、先祖から、魂から、高次元から、神からの計らいがあることがよくわかる。
そこには大きな学びと喜びがある、
残念なことに彼らはそれに気づいていない。
ものすごくありがたい計らいがあるのに。。。
私は30代にそのことに気づいて、私の両親が70代の頃に今までの人生を振り返りいろいろ複雑な想い出や体験をつづるようにと素敵なノートを贈った。
しかし、父母はわかったと言いながら、、、
結局、89歳で亡くなった父親の遺品整理の時に、そのノートを発見したが、白紙だった。
まあ、日記さえ書かない父親だったから無理もないことだったのかもしれない。
今生きている88歳の母親も書いている様子はない。
まあ、彼女にとっても難しいことなのだろう。
人はどんどん昔のことは忘れてしまう、もう、あまり何も感じたくないかのように。
私は心の重荷をどうにかしたくて、必死で20代の頃から自分の人生を見つめてきた。
そのことがどれほど自分の人生を軽く明るく元気で楽しいものに変えた。
今ここまで歩んで来て、自分の人生と向き合うことがいかに重要なことかを身に染みて感じている。
両親にいくら力説しても話しても、彼らは(私が)子どもの分際で、何を生意気なことを言うのかというような反応をする。
彼らはこれでもういいと言う。
それでいいと思う。
時代的にも、お疲れ様なのだ。
彼らから見たら、私こそ、宇宙人なのだ。
この両親から私への教訓は、いくつになっても私は死ぬまで人生から学んで進化成長していくことだ。
♥さあ、あなたはどういう老人になりますか?
それは、あなた次第ですね。。。
もし、あなたが50代に入り、自分の人生を最後まで美しいエネルギーで生きていきたいなら、ぜひ自分の人生のテーマ(生まれる前、過去生から決めてきた課題)と向き合うことをおすすめします。
★今後、老人になってもいつまでも進化成長し美しく輝いて生きていきたい人のために、以上のようなトークをオンラインで気軽に語っていけたら、面白いなあ、と思っています。