古い形を重んじること柔軟に生きることの間で思うこと

宇宙由来の魂でライトワーカーの私は昭和29年(1954年)生まれである。

実家はとにかく心より「形」を重んじていた。

 

どうあるかではなく、どう見せるかという方に近い。

状態より見える形が大事なのだ。

 

規則正しいご飯の時間、盆暮れのお届け、正月を迎えるにあたり念入りな掃除や準備、頻繁な親せき付き合いなど、一年がそれで回っていた。

 

●本音(心)と口で言っていること(形)の違い

母親が心で思っていることと、口で言っていることが、まったく違うことに小学生の頃から気づいていた。

相手にそんなことをまったく思っていないのに、にっこり笑って相手を褒める。

とても嫌なことなのに、やりますと言っている。

母親にそんなこと思っていないのにと本音について訴えても、いいえ、そんなこと思っていないよと平気で言う。

それが常だった。

 

子ども頃の私は、なぜ、心で思っていることと口で話すことが違うのか?

本当のことを言わない方が、自分にとっていいことだろうか?

私の内側はそのことに違和感を感じ続けてきた。

親の生き方を信じていいのかどうか?

こうして、本来まっすぐな私は人に対して不信感を持ち、歪んで育っていった。

 

身の保全のために本音を言わないあり方は、愛国心を求められた戦時中には普通にあったかもしれない。

当時、戦争反対とても言えば非国民扱いされていたからだ。

しかし、今なお本音を言わず、むしろ正反対の自分として生きている人がいるかもしれない。

 

話しを実家に戻せば、時代が変わると冠婚葬祭のあり方も随分変化する。

時代とは、まったく、人のあり方を変えてしまうものだと実感している。

あんなに形にこだわっていた母親もいろいろと簡略化してしまっている。

 

●お墓や遺体への考え方も国によって違うこと

はじめての海外生活は1986年オランダであった。

ある時、知り合った結婚したばかりの日本女性のオランダ人の夫がトラムにまきこまれ事故死した。

驚いたのは遺体に対して日本人の対応とは違っていたことだ。

夫の家族は遺体にはもうすでに何もないと捉えているようで、夫の遺体に取りすがって泣いたのは、自分(日本人の妻)だけだった言っていた。

あっさりしているくらいだと。

まあ、その親子関係についてはわからないが、

その妻である日本女性はそう言って、悲しくて泣きまくっている状態を夫の家族と共感できないようだった。

教会での葬儀の服装やしきたりも自由で暗さをあまり感じなかった。

誰も取り乱して泣いていない、むしろ、息子は天国に召されたと安心しているかのようだった。

 

日本では人の死後、命日などの行事が続いたり、お墓を守り続けていったりすることは若い人には受け入れがたいものになってきている。

私は日本の古いしきたりを学んできているが、また、西洋的なものを実際に見て、ものごとの臨機応変さを学んでもいる。

ましてこの風の時代の軽やかさから見れば、人生はその人の好み、それでいいんだと思うようになった、

 

●視野を拡大させることは人生が明るくなる

人生で一度でもまったく違う環境に身を置けば・・・違う世界が見えてくるものだ。

日本の考えを持っていても、他の国ではそれが全然通用しないという体験をすると、自ずと視野が拡大していく。

 

世界(宇宙)はまことに広く、いろいろな人(存在)が住んでいる。

そして、時代は、、、刻々と変化している。

そんな中で、変わらず同じことを繰り返しているならば、、、視野は狭いままとなる。

まして、人が年齢を重ねていくと固まってしまった視野を広げることは難しくなる。

今までの人生(伝統)と誇りが許さないかもしれない。

古いやり方を大事するのが当然だと言う人がいる。

 

まあ、今の私は・・・人それぞれでいい・・・としか言いようがない。

そして、私はもちろんできるだけ本音を生き、新しく面白い独自のあり方をしていくよ。