女性は心が寂しいと誰かにふれてほしくなる

ある若い女性が年齢にふさわしくない年上の男と仲良くなった。

 

あ~いや~見たくないと思うが、反対はできない。

 

一見社会的に力がある男だからひかれるのはしかたがない。

 

しかし、彼はこの女性を愛してはいない。

 

この男は若い女のフレッシュなエキス(生命エネルギー)を求めているだけだ。

 

この男に利用されている。

(生命エネルギーが吸われている!)

 

しかし、また、この若い女性もこの男を利用しているだろう。

彼のお金や地位からくる恩恵と少しの愛?を期待しながら。

 

これを俯瞰して観ると、

今までの権力社会の中で、支配層が民からエネルギーを吸い取っている状況と同じだ。

映画「マトリックス」のように、人は生命エネルギーを吸われているのに、それに気づかず、(吸われているために)陶酔して、浮かれて生きているのに・・・似ている。

 

生命エネルギーを吸われるということは、ある種、悲しいけれどなかなかの快感でもある。

その快感とは、特をしているかもしれない、愛されているかもしれないという・・・勘違いという幻想であると私は学んできている。

 

さて、今、ここから唐突にブログを書いているカフェのカップルについて話を書くことにした。

どうしても避けられないカップルの声が聞こえてくるからだ。

エネルギーウォッチャーの私はこれを見逃せない。

彼らは隣にいて、他に誰もいないので、どうしても話が聞こえてくる。

彼らのエネルギーはやばい方向に進んでいる。

つまり、不倫状態の入りそうなのだ。

近いうちにこの二人は関係ができてしまうだろう。

この経緯が面白いなあと思いながら聞いていた。

話しのはじめは、互いの子どもの話だったり、仕事の話だったり、世間話程度であるが・・・そこから、家族への不満の話、お酒の話、体の話、これからの予定、睡眠の話、好みの女性の話になっていく。

どうもこの女性が誘っているようだ。

男性もそれを受け入れている:::というエネルギーだ。

この女性の笑い声は緩んでいてものすごく甘い。

こんな声を旦那さんにはしないだろう。

男の人はこの声にそそられるだろう。

しかしながら、この女性の悲しさは何だろう。

とても寂しいのだ。

笑っているが、この女性の寂しさがやって来る。

もちろん、この男性は寂しくはない、ただの遊びで、彼女からの美味しいオファーがここにあるのだ。

この二人がカフェから出ていく時、ちらっと見たが、まあ、彼らの庶民的なエネルギーに比べて、外見の方がイケイケだったのを見て、あら~彼らは普通の人ではないとわかった。

外見とはいい加減なものだなあ。

彼らは見た目より、まったく普通の人だったからだ。

男の人が喜ぶ甘い笑い声も、彼女が作り上げてきたものなのかもしれない。

 

また、話しは戻り、私は女性として思うが、子どもの少女売春も、結局、心が寂しいから誰かに触れてほしくて体を提供して求めてしまうということだ。

逆に、少女の心が満たされていれば、そんなことは必要なくなる。

寂しさから体のふれあいを求めるのだ。

それを、、、男性が利用するという構造である。

 

この権力社会は、お金や成功・・・というものを勝ち取るために、人と人が競争し負けていじけたり、争って孤独になるようにできている。

そんな親は忙しく子どものことまで関わってはいられない。

自分の人生で手一杯の親は自分の子どもを守れない。

よって、子どもはとてつもなく寂しくなる。

寂しいから、せめて、誰かに触れたくなるのだ。

 

子どもの心を愛で満たすことこそ・・・人が幸せになっていくということ。

そのためには、まずは、自分の♥を愛で満たすことからはじめようと思う。