長い間、自分以外の人の人生を見て、それにいちいち反応して生きてきた。
人の目はどうしても外を見るようになっているために最も近くに居る家族に目が行く。
特に、母親や、兄弟姉妹、幼い頃からずーっと一緒に育ったために、どうしても気になる。
また、自分の産んだ子どもにおいては母親として子どもの身代わりに生きているかのような錯覚をしながら育ててしまう。
この目の仕組みこそが自分と身内との確執を生むということだ。
これが愛憎劇になり、愛と憎しみでドロドロになったりする。
♥愛の世界と情けの世界の違い
情けの世界に生きる人たちは、
お前を大事に思うからこそ、、、こうやって言うのだと恩着せがましく父親(上司)は自分の大事な子ども(部下)に言う。
子ども(部下)がそのことに反発すれば、なんてかわいくない憎い子ども(ヤツ)だとなる。
愛の世界に生きている人たちは(なかなかいない)、
あなたを大事に思うから、そっと観ていることにしよう。
そして、それでもどうしても危ないから何か言わなくてはいけないなら、
お父さん(上司として私は)はこう思うんだけど・・・と言う。
決して、お前はダメだからとは言わない。
もし、私なら・・・こうする。
あくまで、父親(上司)としての意見を話す。
それを聞いた子どもは、そうなんだそれがお父さん(上司)の意見なんだね、
それを聞いて自分は責められていないんだ、強制もされていないんだと安心する。
それより、自分のことを心配してくれているんだと感謝する余裕やその話を受け入れる耳を持つかもしれない。
もし、あなたがこのように愛の立場に居るようになるには、
まずは、自分の視点が内側に向いていることだ。
これはかなりの訓練がいる。
なぜなら、通常、人は目が外に向いているために、外の世界や人と自分を比較してしまうことに、慣れているからだ。
常識というものに縛られたり、周りがこうやっているからと気になる人は視点は外向きである。
こういう人は、自分の視点・見え方を外向きから内向きにすることだ。
外向きの人はなかなか外の世界や人に気を使って自分軸で生きていない。
外向きである間はこの愛の世界に移行することは難しいと思う。
私自身、その仕組みがわかっていても、40代前半近くになっている彼女たちを大事に思いすぎて。かなり長い間近くに居た。
まあ、うざい母親であることも重々承知であった。
それが最近になって娘たちを他人と同じくらい距離を取り、そのまま見守ることができるようになった。
自分でも嫌になるほど娘たちを手放せなかったのだ。
そして、同じように共依存の母親とも・・・他人のように距離を保てるようになった。
それゆえに、今、子育て中の人は自分の子どもと距離を取ることは難しいと思う。
しかし、時間がかかってもいいから、生きている間に自分の視点を内向きにして自分の軸をしっかりと立て生きていかれることをおすすめしたい。
高齢になってもいつまでも母役をして、悦に入っている人は、ある意味、ものすごく重いエネルギーになる。
子どもが成人したら、いつまでも。母親役をやっていないで、自分の人生を歩むことをはじめることだ。
もう、子どもたちに二度と会わなくてもいいくらいになると、あなたが死ぬ時に安心して、すっとこの世を去れると思うからだ。
それには、やはり子育てをする時に思い切り、、、やることだ。
間違ってもいい。
何でもいいから思い切り子どもにぶつかっていくと言い。
思うに、自分の子ども対して後悔がない人は、自分の子どもと他人の距離になることに難しさを感じない。
もう思い切りやったという自負が、あの子なら大丈夫子ということにつながっているからだ。