周りの人の人生はみなパーフェクトだった

私は長い間、過去を向いて何かを追い求めてきた。

その気が済むまで向き合ってきた。

それは幽霊ではない自分の存在をつかむための旅であった。

 

私の過去を見ていくと「自分の視点が常に外の世界に向いていた」とわかる。

外の世界の中に埋没していた。

まるで自分が存在しないかのように外の世界に合わせて生きてきたのだ。

自分を幽霊だと感じていたからこそ、過去に戻り、自分を見つけに行った。

そして、長い時間をかけて過去からの人生を見続け、心底、闇と居た。

 

この外の世界は、権威主義であり、勝ち負けの競争世界であった。

激しい感情を使う世界でもある。

この世に生まれてくる人はこの世界を体験したくて生まれてきたと言わている。

悪だ闇だと言えど嫌でも、それは刺激的なエネルギーだった。

何が良いか悪いか、何が正しい間違っているかを見極めることに必死だった。

だからこそ、闇を知りたかったのだ。

人間を知らない自分はこのよくわからない世界に入り込んだと思う。

そんな私はきっと陰陽の世界、光と闇を、どちらも体験したいと思ったのだ。

 

しかし、今の私は、それさえ、どうでも良くなっている。

本当にどうでもいいのだ。

外の世界こと(人のこと)は気にならなくなっている。

どうぞ、好きにしてね(笑顔で)・・・というくらい、私の視点は遠くから見ているような感じだ。

あの目の中に入れても痛くない大好きな娘たちにさえかなりの距離を持てるようになっている。

他人とあまり変わらないくらいと言うと、信じられないかもしれないが、今の私は、あんなに近かった娘たちともかなり離れている感覚である。

やっと自分に戻れたのだ。

昨年の私からは信じられないことだ。

 

もうあの世界に帰ることも浸ることもできないだろう。

あ~ミサエは死んだのかもしれない。(笑)

パラレルワールドがあるなら、違う次元に居る感覚でこのブログを書いている感覚である。

平和というか、外の世界に影響されないという感じである。

もちろん、食べたり、飲んだり、寝たりしているけれど、あまり強い実感がない。

66年間食べてきた食べ物を完全に変えたせいで、体の感覚も違うのかもしれない。

困ったことは、私のこの世のとらえ方が変わりすぎて、これから。自分がどういうふうに動いていいのかよくわからないことだ。

まあ、それでも、平安な気持ちでゆっくりと新しい自分に慣れてきている。

体重も戻ってきている。

体が栄養を吸収できるようになっている。

これを再生というのかな。

 

もう一つの変化は、人の人生と死である。

私の周りの人の一生を眺めていると、まことにパーフェクトであったとわかった。

誰も一ミリも間違っていない。

私をいじめまくった亡き義祖母さえもパーフェクトな人生だったとわかる。

悲惨に亡くなった母親の祖母のことも、結局、彼女の選択はOKだった。

これがわかり、ものすごく驚いた。

(直観というか、感覚が敏感になっているせいか、最近はものすごくはっきりとメッセージや映像としてやってくる。また、いろんな角度から検証してきたので納得がいく)

みな、その人の魂の体験をしっかりとやり切って亡くなっているのだ。

急死した愛しい弟は。もちろん、彼の時間を全うしたのだ。

あっぱれである。

これがわかり、私は深いところから安堵した。

もう誰のことも心配しなくていいのだ。

人生はその人の魂がその人を導き、必要な体験をしていく。

なんだ、、、そういうことだったか、とわかった時、私は忌まわしいと思っていた自分を過去を清算できた。

そして、過去の出来事が。。。自分の宝物となった。

あの忌まわしい私の過去のすべてが私の財産になったのだ。

 

こうして過去を俯瞰して観ると、

相手のためにやってきたことがまったく無駄であったように見えるが。すべては自分のためにあるとわかる。

問題だった母親をはじめ自分の周りの人はそのままでいいのだ。

彼らは彼らとしてパーフェクトな人生を送ってきている。

縁あって、私はこの家に生まれたのであるが、まあ、両親や義父母すれば私は大変な子どもだったのかもしれないなあと思う。

何しろ私はいちいち大人をじっと観ていて、何か不信感があるとそこを指摘する。

ごまかせないから大人にとれば私は嫌な子どもである。

 

しかし、それが今の私の平和な人生につながっているのだ。

あ~、そうか、私の人生もまた魂から見たらパーフェクトな人生を送っているのだ!