共依存の親子については、いろいろな角度から、長年体験し切り抜けた過程をお伝えしている。
私の母親がいたからこそ、地の時代の権威意識を個人レベルで学べ終えたと思っている。
自分の親を悪く書いているように見えるが、母側から見たら私の方が異端であるのだ。
どちらも悪くないと今はわかっているから、穏やかな気持ちで書くことができる。
さて、人のエネルギーの第3弾、共依存の親子についてである。
子どもはどうしても親の想いを優先する。
親に世話になっている以上しかたのないことだ。
私は4歳の時、もうすでに夜眠れないほど深刻な心の状態にあった。
それは義祖母の執拗な日々のいじめに恐れおののいていたからだ。
両親はこのことに気づかないのか何もしてくれなかった。
(当時は、すべて自分が悪いからと思っていた)
私は身の危険を感じて周りの人の心を読むしかなかった。
おかげで人を観るセンサーは研ぎ澄まされていった。
以前にブログで書いているように、私はこの時、普通の子どもでいることをやめた。
つまり、人の顔色を見る子どもらしくない冷めた子どもになったのだ。
当時、兄弟は義祖母や母親に大事にされていたので、娘一人の私は常に良い子、間に合う子、面倒みのある良い子を演じなければならなかった。
そうでないと母親は受け入れてくれない。
また、すぐに大声でののしる義祖母にいじめられる母親を何とか救いたいと心を痛めてもいた。
しかし、その母親に、義祖母を怒らせるなと、いつもしつこく言われていたので義祖母に反抗することもできなかった。
いろいろな痛い想いがある。
5歳の頃、私は男の友達と一緒に道を横切る時、バイクとぶつかり大ケガをした。
義祖母は病院で血まみれになって泣きじゃくっている私を見て、大声で、騒ぐなと怒鳴りつけた。
自宅の階段を間違って踏み外し落ちることがあったが、そのたびにものすごく叱られた。
(子どもが階段から落ちたら、大丈夫?よしよし、痛かったね~じゃないのだ)
義祖母の作った夕食がまずくて食べきれないといつまでも席を立つのを許さなかった。とっくに兄弟は食べ残してテレビのある部屋に行き笑っている。
・・・とこんなこと書くときりがない。
また、小学校4年の時、義祖母と何かで買い物に出かけた時(いつも嫌々しぶしぶついていかされる)私が義祖母と手をつなぐのを嫌がったと、たったそれだけで猛烈に怒られた。
自宅に戻った後、そのことで、母親に再度叱られる。
自分や大切な人をいじめる義祖母を好きになどなれないのに・・・母親は好きになれと言うのだ。
これらはまったく救われないパターンである。
(おかげて自分が子育てをする時に私はパニックに陥り、これが自分を根底から見直すきっかけとなった)
とにかく、私は常に理不尽な気持ちを抱きながら、自分の気持ちを我慢しながら育っていった。
義祖父母の顔色ばかりをうかがう両親に対して(好きで嫌いという)複雑な想いを持つようにもなっていった。
25歳で結婚する頃には、精神的にはおそらく不安定で怒りっぽく、かなりおかしくなっていたように今は思っている。
子どもを出産した時、自分にまったく愛がないということに気づき驚き、そこから、いろいろなことが起こり、結果、心理学や宗教やスピリチュアルなことにハマっていったのだ。
敏感なセンサーを持っていたこともあり、スピリチュアルな能力が開花していった。
ここから、さらにデープに掘り下げていく・・・が
あまりに長くなったので、2回に分けることにした。
★すぐに次をアップしますので、引き続き、ご覧ください。