まあ、生きる上で私は(スピリチュアルな面でも)偉そうに言えない。
いくら人のエネルギーが読めても、巧みなネットの宣伝に騙されてしまう。
よさそうな講座かなと思っても、そうでないこともある。
勘違いをしたり、間違えたりする。
ここから、前向きに学ぶしかないと自分を慰める。
私(人)は未熟な生き物であり、日々、学ぶことで成長していると思いたい。
私のスピリチュアルも正解・・・ということはない。
いろいろやってきて、今のやり方にたどり着いているだけである。
それに、受け取る相手の解釈もある。
また、自分が間違っていると気づいたなら、軌道修正することは大事なことでもある。
時代が変われば、今までそうであっても変わってしまうこともある。
よって、常に自分を律することにしてきた。
しかし、あまりに厳しくこれをやり過ぎて自分を抑えすぎてしまい、自分のしていることが人にわかりにくくなり、人生そのものが面白くない。
自分を出し過ぎても、出さな過ぎてもダメとなると、どうしたらいいのか?
今の私は人生を楽しみたいので、あくが強くてもいいから、自分を出していくことに決めた。
また、自分のあり方から見たら、
対極のあり方の人は、敵(悪・間違い)に見える。
対極の相手から見たら、私の方が敵(悪・間違い)だ。
この戦いを今までさんざんやってきた。
自分は悪くない、相手が悪いと・・・エンドレスな解決法だった。
陽と陰、光と闇、善と悪の2極化とは?
以前と何も変わらない、敵味方と同じ、対立を生むあり方だ。
これでは、まだ対立している。
今の私のスタンスは、見えない世界を信じなくてもいいし、信じてもいい。
物質が第一でもいい。
肩書より心が大事だというのもOK だ。
つまり、なんでもありでいいと思っている。
だからと言って、どちらでもないというグレーではない。
どちらもありなのだ。
それに、私には深い憎しみと怒りがあった。
物質より心が大事と言っても、、、ブランド品はいいなあ、それを安く手に入れて、自分を良く見せたいという気持ちがある。
過去に修道僧になりたかった私には、光と闇、善と悪の全部を包含していたのだ。
悪や闇を外に見ていただけだった。
全部あるなら、どこも責める必要がない。
人生はひたすら自分の受け取り方次第となる。
そして、みんな違っていいとなる。
それが地球(宇宙)というものだと思う。
もっと言えば、私の意識が地球そのものであると言えるのかもしれない。
これが多極化という意識のことなのかなあ。
一体、ミサエは何を言っているのか?と思うかもしれないが、
見えている世界が何でもOKとなると、このように私の意識は広がっていく。
なんでもあり。。。
こうなると私の気持ちは穏やかになりやすらいでいく。
さて、これを踏まえて、私は自分を拡大させていこうと思う。