スピリチュアルなことを長く学んできて、私を通して心底納得したことは人に伝えられる。
しかし、スピリチュアルについて、いかに新しく素晴らしい方法が出で受けたとしても、結局、自分が腹落ちしなければ身につかないと言える。
人生は傷つきながらでも、自分で納得しながら、通っていく方がいいと思っている。
誰かが言う簡単で気楽で近道っていうのは、どうなんだろう?
そういうものは一見とてもいいように見えるが、私の場合は身につかなかった。
まあ、慎重だとか不器用だとか思われても、時間がかかってもかまわないと思っている。
その結果、新しいスピリチュアルを学びながらも、人のマネではなく、オリジナルなものを作り上げてきた。
よって、私は自分の生き方・歩み方みたいなはっきりとしたものを持っている。
しかし、古くなればそれさえ捨てさる柔軟さもあるつもりだ。
そのエッセンスだけ残し、そこからまた新しいものを作り始める。
だから、私にとって、人生はいつまでもみずみずしく新鮮でとても面白いのだ。
さて、その私がスピリチュアルで特に専門とするところは、
●人生のテーマと魂の道を観ること。
●魂の願っている道とその人の人生の道がずれている場合、魂の想いを読みながら違いを説明し、魂に沿って生きるにはどう進んで行けばいいかを提案すること。
●人が終活をしていく時(本人が望む場合に限るが)今生の宿題がまだできていない、あるいは、自分の人生のテーマがわからない場合、テーマを見つけてそのアドバイスをすること。
●どうやったら、現在のオーラが素敵に輝くかを今のオーラの状態(魂レベル)を読みながらアドバイスすること。
以上の提案やアドバイスを実践していくと、人の人生は今よりスムーズに動いていく可能性が高くなる。
人生は自分の魂の願いを知り、それを、自分の腑に落とし歩んでいくことで、人生は動きやすくなっていく。
自分の魂の望みを知り、人生で今何が(魂的に)起きているかを理解し。そこに気づいていけば、苦しい人生はとても意味深いものに変わる。
しかも、人生に起きている意味の謎を解くことは、とても楽しい作業である。
何といっても、その謎が解けた時、人生は軽くなり、明るくなるからだ。
まるで、悪魔がかけた魔法を解くかのように、心がすっきりと晴れ渡るのである。
このような話は、物質主義の人や見えないものを信じていない人には、まったく、荒唐無稽な話に聞こえることだろう。
つまり、ここまでくると、生きる世界は、全く違うものだ。
もう話すことなど、何もできない状態だ。
これが、風の時代に入り人々の中に起こっている2極化という現象である。
今は2極化と言うが、これからはさらに多極化に分かれていくだろう。