明け方の夢はあの世からのメッセージ

もちろん、これは私の場合である。

 

夢をたくさん見続けることもあるが、まったく夢を見ない日が続くこともある。

その夢の中でも、、、明け方に見る夢は特別だと思っている。

特に、早朝いったん目が覚めて、再度、眠りに入った時に見る夢はメッセージ性が強いと思っている。

 

今年3月に弟は63歳で突然亡くなった。

私は老後に向け、やっとこれから弟と楽しい時間が過ごせると思っていた。

一般的でない私の感覚をまったく理解しない家族の中で、弟は唯一なんとか私を理解してくれる存在だった。

 

あまりに突然の別れ、これをどう受け入れたらいいのか途方に暮れた。

今まで強きだった私は昨年暮れに病とわかり、弱気になっていたところに、弟の急死でかなり落ち込んでしまった。

弟は名古屋に住み、葬式が実家の三重県となり、私は病のこともあり葬式に参加することはできなかった。

その葬式の数日後、落ち込んでいた私の札幌の住まいに弟が来てくれた。

静かな部屋にいつもにない何か気配を感じたのだ。

その気配は穏やかなものだった。

弟は亡くなったばかりだから、きっと会いに来てくれたのかもしれない。

もう悲しくて、でもとても懐かしくて、ほっとするような気分になった。

その後、時々、近くの公園で散歩する私のところに彼は白い蝶々になり私の周りを長く飛んで、弱っている私を慰めてくれた。

これらは夢ではないが、実際に私が感じた感覚である。 

 

さて、夢の話である。

弟は63年間の人生で結婚をせず、何も望まず、外に居るのが好きだからとまじめに造園業の仕事をやっていた。

私は、、、彼の人生はどうだったんだろうか?楽しくやっていたのだろうか?とても気になっていた。

そして、5月に入った頃、明け方の夢で、笑顔いっぱいの彼と会ったのだ。

気配ではなく、夢での初めてのリアル?な対面だった。

彼は満面笑みをたたえとても幸せそうだった。

私は安堵した。

弟のそばには私の苦手な亡き義祖母もいて、同じように笑っていた。

4年前に亡くなった父は無表情な顔でなぜか車の運転をして迎えてくれた。

亡き父は死ぬ前と変わらなず無表情であった。

こういうものを見ると、家族として本当に安心する。

すぐにこの夢のことを母親に報告した。

ふしぎにも彼女のところには、父も弟も、一度も現れないと嘆いていた。 

 

さらに、8月22日水瓶座満月の明け方、再度、夢に弟が現れた。

驚くことに、彼はもう別人になっていた。

20代くらいになっていて。意気揚々としていた。

腕に4歳くらい4キロ?の赤ちゃんを抱っこしていた。

私はこの子は誰の子?と尋ねても、まったく言葉が通じない。

赤ちゃんはとてもきれいな目で茶褐色の肌をしていた。

私はかなりのおばあちゃんのようで、この赤ちゃんが重くで抱けない。

リアルな感覚である。

 

そこで目が覚めた。

私は直感的に彼はもう地球での記憶がないとわかった。

彼は別次元に行き別惑星で生活をしていると思った。

夢は画像がリアルだから、気配より、はっきりとメッセージを伝えてくれる。

つまり、弟はもう生前の地球でのことは忘れ、次の新しい人生を歩んでいるから、もう心配しないようにと教えてくれたのだ。

その夢を振り返りながら、そうか、、、もう彼のことを悲しんではいけないんだとわかった。

彼は別人になり、あんなに若く、すてきにたくましく、新しい(星?で)人生を歩み始めている。

そう思った時、私はあ~終わったんだ~、これからもう悲しまなくていいのだ。

これ以上、弟の死を悲しむことは、彼に失礼なことだと悟った。

 

こうして、人の死について、今の私がわかってきたことは、

人の人生の長さは、ただ長生きするという長さではなく「その人の時間」という長さ、つまり、その人の寿命である。

その人がとても若くても年寄りでも、事故や病で突然亡くなっても、その人が人生を全うしたということ。

すべての人の死はパーフェクトなのだ。

もちろん、人が殺された場合や安楽死など、それは寿命と言えるかどうかは今の私にはわからないが、亡くなったということは、その人の人生がその人にとって終わったということになるんだと思う。

 

亡き父や亡き弟や他の人の死を観ていても、その人や周りの人にとって、とても良いタイミングで亡くなっている。

ちなみに、弟は亡くなる前、昨年11月くらいに、どうやら若い人の運転する車が弟の車にぶつかり、それが原因かどうかわからないが、、、会社を長く休んでいたらしい。

 

(弟は謙虚な人でほとんど自分のことを話さないということが問題だと思っているが・・・もはやこれはしかたないこである)

 

ところが、弟は今年3月無理したのか、元気になったのかわからないが会社に出勤した。

同僚の人たちに良かったね~と言われ、笑いながらみんなで軽作業している時に・・・弟は突然倒れて亡くなったのだ。

こんなことがあるんだ。

自分の部屋で死なないで、わざわざ死ぬその日に会社に行き、みんなと笑って軽作業している時、好きな仕事をしながら亡くなった。

みんなに見守られて、弟はなんと幸せな死に方だったんだろうかと・・・それを思うと、これは人間を超えている業だ、これを神業というのだと思った。

 

こういうことから、私は人は死ぬことを恐れなくていいと思っている。

人が死んだら、その人の人生は終わり、ただ次の世界へと行くだけ、それも神様がすべて取り計らってくれるから、心配しなくてもいいんだと、そう学んでいる。

これが弟からの私へのギフト(愛)である。 

 

夢の解釈は人それぞれだと思っている。

ただの夢かもしれない、されど、深~い夢もあるんだ。