けっこう、、、長く強きでがんばって権力社会に対抗して生きてきた。
しかし、昨年暮れに病になり、さらに、弟が急死し、いっきに自分の人生が消滅していきそうになった。
心身最低状態であった。
そこから、今日まで見えない存在の導きにより助けられながら、新しい自分の心身立て直しが始まり、次に進む道がやっと見えてきた。
そこで、だとりついた私の境地とは、、、
昨年暮れ以降、
病になってしまった自分、
ダメな自分、
何もできない自分、
最低な自分、
弱っちい自分、
死んでしまいたい自分
情けないを・・・なんとかしたいともがき、どうにもこうにもならないもどかしさを強く感じながら、さて、一体私は何をしているのだろう?と自問自答の日々を送ってきた。。
この水瓶座満月を迎え、やっとこれを納得して受け入れることができた。
それは、私は自分がどんなことになっても、そばにいて自分を応援していくことに決めたのだ。
ダメな自分・・・でもいいすべての自分を赦すことにした。
それが自分を本当の意味で愛することだと知った。
こんな境地になれたのは、自分が病になったからだ。
強きの頃の自分は、ダメな自分を受け入れなかった。
ダメで弱い自分を赦すことなどできなかった。
できる自分や完璧な自分を愛していただけなのかもしれない。
それは幻想であった。
今まで愛と思っていたものはなんだったのだろうか?と思うほど、私はやすらぎ安堵している。
自分の病や弟の死を身近に感じて思ったことは、
人は年を重ねて老人になり死んでいくということは、弱い自分やできない自分を受け入れていくという作業をしていくこと。
それは死ぬ覚悟をしていくようなものである。
また、死ぬことは誰にも起こる。
突然やってくることもある。
余命宣告されることもある。
いずれ私たちは誰もが寿命まで生きるが、死ぬ時は誰にもわからない。
だからこそ、死ぬ時は後悔したくないと思うものだ。
病になり死と向き合ったことで、私は生きる上で何を後悔したくないか?考えた。
結婚したり海外に住み子育てをしたり人生アドバイスの仕事をしたり、今まで必死にやってきたので後悔はない。
それはとても楽しくもあった。
しかし、それでも、それは表面的なことだった。
もっと自分の内面が深く充足することが最も大事なことだと思った。
その充足とは、自分のすべてを赦し受け入れこと、自分を愛することだ。
自分と仲直りすること、和解すること。
自分の一番の理解者になること。
自分のすばらしさをほめたたえていくこと。
この世は、人が自分を虐待してしまうような仕組みがある。
虐待する自分に早く気づいた人から心からほっとする世界へと進んでいけるのだと思う。
もう自分を責めないでほしい。
この水瓶座満月の日に・・・私はここまでの境地になれたことに感謝し何があっても自分の味方でいること、どんな自分も赦すこと、やっと灯った自分の愛の炎を大事に育てていきたいと宣言した。