親の仕事はとても楽しいが、なかなか難しい。
のめり込むほど面白いが、辛いことは少なくない。
大変にやりがいがあるが、あっけないほど子育てはあっさりと終わる。
親は子どもが大きくなると用なしになると覚悟することをおすすめする。
いつまでも子どもの親面をしていると大人になった子どもには心底嫌われることになる。
優しい息子ほどその気持ちを親には見せないものだ。
気をつけないと親は息子だけでなく、息子の妻、娘の夫、さらに、孫のことまでに口を出し始める。
一体、いつやめたらいいのか?
老人になっても、ずっと子どもの親でいようとする。
これはその家によって本当に違いがあると思うが子どもが精神的に自立しにくいことだけは確かである。
いつまでも親の言い分を優先したり親に自分の身の振り方さえも頼ったりする。
一個人としての成長にとって、どうなのだろうか?といつも思う。
親孝行とはなんだろうか?と。
私はおばあちゃん扱いしてほしくないから、ならなくてもいいと思っている。
もう母親の役目が終わっているのだから娘たちは立派に育っているから彼女たちの人生に何も言うことはない。
もし孫ができれば私の孫ではなく、同じ人間だけど、別魂として接していきたい。
孫から新しい時代の人のあり方を学びたいくらいである。
情のある人には冷たいと言われても、しっかりと個人としての距離を取らないと、親というのはずけずけとどこまでも介入してしまうところがある。
大事だからこそ接近したい。
大好きだから言い過ぎる。
私の実家では親せきのおばさんたちが口を出し、あれこれ言うものだから、実家はそのことでよくもめていた。
今の時代、親せきつき合いはないかもしれないが、昭和とはそんな時代であった。
親せき一同、みんな近い距離だったのだ。
それは良い部分もあるが、それゆえに、距離と境界を知らないととんでもないことにもなる。
ヨーロッパ3カ国住み、個人主義の気持ちの良い人との距離を知り羨ましいなあと思った。
子どもの親だから・・・(いいんだ)となる、それが問題になる。
親の役目と子どもとの距離と境界の引き方は学んだ方が良いと思っている。
自分の子どもだからいいんだと、ずけずけと入り込むことは危険である。
やってあげたのにと思っていても、結果、子どもには恨まれる。
子どもは世話になった親にもう近づくのをやめてくれとはなかなか言えないものだ。
寂しくても、、、親が身を引くことを心得ておくことは重要である。
私はなかなかそれができないでいたから、特にこれを何度も反省し学んできた。
私のように共依存の親に育てられると、なかなか自分の子どもとの依存からは抜けられない。
子どもときっぱりと切れることは辛いことだが、へその緒を再度切った時のように、子どもたちは自立していくのだ。
それはすがすがしいものだ。
しかし、母親役が終わるとは空しいものだ。
♥母親の仕事とは未練を残さないこと・・・それは、かっこいい姿なんだなあと実感している。
★親子シリーズはいったんここで終わります。たくさん自分の実家のことを悪く書いてきたように思いますが、まあ、そのあたりは実家に感謝し、自分の体験をなるべく正直に伝えたいと願い書いてきました。これはあくまで一個人の感じてきたことです。他の意見もあると思います。上手く書けていないかもしれません。また、いつかチャンスがあれば書いてみたいと思います。