幼い頃、子どもがこれは赤色だと言うと、母親はそれは違うと言い、これは青色だよと言う。
そして、子どもはそうかなあ赤色だと思っていたけど、自分の面倒をみてくれている優しくて偉大な母親は青色だと言う、そうか自分は間違っているんだ・・・と信じ込む。
そして、こういう子どもはいつしか自分を信じられなくなる。
自分が感じることや信じることを疑うようになる。
自分は間違っていると思い込んでしまう。
しかも、良い子であるほど親の言うことを信じるのだ。
大人になっても自分の判断や感じていることに自信が持てなくなっていく。
ひどい場合は、親に敵意を持ち親を恨むようになっていくということを前のブログに書いている。
親は青色に見えているのであるが、子どもは純粋に赤色に見えたのだ。
それを赤色だと言っていたのだ。
赤色がいいと言っていたのだ。
赤色の人生がいいと・・・。
しかし、親はそれは間違っている、人生は赤色でなく青色なんだと言う。
お前の判断は間違っていると否定する。
残念なことに親はその色が正しいと思い込んでいる。
それが常識だとか、みんながやっているからとか、世間ではそうだからとか、自分にはその色が良かったかもしれないが、子どもといえど別の魂、別の人格を持っている。
親の色がその子どもにとって正しいとは言えない。
もし、親が青色に見えていたとしても、精神が自立した親というのは、子もどが素直に赤色に見えると言ったなら「そうなんだね、赤色に見えるんだね」と答える。
それが自立した大人の余裕というものだ。
「そうなんだね、お前はそういう色に見えるんだね」と。
その色が正しいとか正しくなくてもいいのだ。
自立している親なら、自分のことを尊重しているので子どものことも尊重できる。
子どもただ受け入れてほしいのだ。
否定してほしくないのだ。
そうなんだね・・・と受け入れてほしいのだ。
親が「そうなんだね、赤色にみえるんだね」と言ってくれたら、子どもはほっとするのだ。
親に自分の存在を認めてもらえた!
受け入れられた!と安心するものだ。
こうなれば、子どもは自分に自信を持つことができる。
♥自分の考えもなく、周りに合わせて生きている親は自分のことを尊重できない。
これを理解することはとても重要なことだ。
私が子どもの頃は、純粋に赤色に見えていたのだ。
それを思い出した。
母親は絶対に違う青色だと言い張った。
それでも、私は赤色だと言う。
しかし、母親はお前は間違っていると言う、その繰り返しから、だんだんと自分の見方は間違っているのかもしれないと思い込んでいった。
私の感じていることは良くないんだと。
これが自己否定につながっていった。
このように親に自分の感覚を否定されて育った人は、大人になっても自分の感覚を疑い、自分に自信が持てなくなる。
赤色に見えると言った時、家族の誰かが、あなたはそう見えるんだね。
そうなんだね・・・とひとことでも言ってくれていれば私は安心できた。
こんな簡単なことなのに親たちは気づいていない。
それでも、私は子どもの頃から直観が鋭く、自分の感覚が強かったために、自分を疑い自己否定しながらもどこかでやっぱり赤色だと思っていた。
よって、青色と言い張る人に対しては、青色風な自分を見せてごまかしていた。
つまり、人とのつきあいにおいて、自分をはっきりさせないという癖がついてしまったのだ。
自分と反対の人やグループとの衝突は避けられたが、時間が経つと自分に嘘をつくことができなくなり、相手から嫌われるという結果に毎回なった。
長い間、こういう過ちをしてきた。
はじめから、自分とは違う考えの人にどうせ嫌われるんだから、あなたと違うと言えばよかったのだ。
しかし、母親には逆らうわけにはいかなかった。
どこの子どもも母親には嫌われたくはないものだ。
私は60代後半になり、やっとこのからくりの全貌が見えてきた。
このブログからもわかるように、自分の本音を隠すことなく書けるようになっている。
人に嫌われてもいい。
嫌いな人と無理してつきあわなくてもいい。
人に良く見せようとしなくてもいい。
好かれようとして人に迎合しなくてもいい。
このままの自分でいいのだ。
あなたがあなたの思う色に見えるなら、それでいいのだ!
★自分の家族のことや母のことをあからさまに書いてきている。
それは私の考えを伝えるブログのためである。
家族には大変申し訳ないと思っているが、そのあたりは感謝し許してもらっている。
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