私が育った家はとにかく「形」にこだわっていた。
お中元・お歳暮から始まり、いろいろな行事をこなし、他人からきちんとした家に見られるように気を使っていた。
名古屋人は嫁入りの支度など「形」を気にする。
(今はそうではないかもしれないが当時はその傾向が強かった)
昭和という時代、肩書・学歴・マイフォーム・外見のかっこよさなど「形」を重要視した時代でもあった。
学校でも会社でも、みなが上のポジション目指し競争していた。
私は実家の行事など形ばかりこだわり、家族の心のつながりや中身(想い・思いやり)がないことに虚しさを感じていた。
正月が来て、家中掃除をしまくっても、おせち料理を徹夜してかいがいしく母が作っても、まったく楽しくなかった。
家族はただ行事をこなしているだけだった。
私が25歳で娘を産んだ時、自分に愛がないことに気づきショックを受け、自分が愛されて育ってこなかったことに驚いた。(それを以前のブログにも書いている)
よって、自分の子育ては何とかして愛のあるものにしたいと、必死の子育てを実践した。
形だけで愛のない家族の中で育ち、自分の子どもを産んでも何も感じない、子どもを愛せない、自分に愛がないとわかった時、どれほど衝撃を受けたことか・・・それは不幸で恐ろしいことだった。
私はその時以来、自分には愛がない、これでは母親になれないと徹底的に人の愛についての探究が始まった。
私の実家は家族という形はあったが心は破堤していたのだ。
そのショック以来、愛を知るために、宗教、スピリチュアル、心理学など本や講演をたくさん見聞きしていった。
さらに、そこから7年後ヨーロッパに移住してからは海外の子育て・家族のあり方ついて学んでいった。
帰国してからは、人が幸せになるためのお話し会を開き、そのためのアドバイスを行ってきた。
学んだことは常に人に伝えたいという一心からだった。
昨年、病になったことで、人のことでなく「自分」のをケアを忘れていたことに気づき、自分のケアが始まった。
そのことにより、私は自分の人生にたくさん人の負のエネルギーを取り込んでいることがわかり、自分の人生をしっかりと生きていないことに気づき、自分を浄化しながら今までの自分のあり方を徹底的に見直しをしている。
過去の私ときっぱりとさよならをするために、物心の断捨離をやっている。
そこから見えてきたのは、実家の反動から自分の家やお金や肩書にこだわらず、むしろ何も持たないようにしていたことだ。
自分の本当の姿を見直し、母役・娘役をやめたことで、自分の核が見えてきた。
小さくても自分の核のなので、これは壊れようがない。
力強い自分の土台が出来上がり、いよいよこれからはその上に自分の家を作ることにした。
住まいも、お金も、肩書も、形あるものをしっかりと持つことに決めた。
正々堂々と宇宙にオーダーすることにしたのだ。
これが叶えば、念願のコミニティー(ホテル)という場作りも夢ではなくなる。
❤️やっと、母でもなく娘でもなくただ1人の人間としての中身を充実させ、その形を作ることが始まった。
それにしても、ライオンズゲート最大の日8月8日はかなり強いエネルギーで動けないほどであった。
この影響から大きな気づきがあった。
それは一番身近にいた娘たちからの、、、本当の意味での自立、自ら私は親をやめると決めたことだ。
子どもは親を蹴って離れて立っていく、それを母親は喜んで受け入れる。
これは言うのは簡単だが、これが、母親にとってはなかなかの厳しい試練だ。
子どもが自立していくためには、あえて、辛くても身を引く、子どもから離れていくこと。
あ~あ、母親って、本当に難しい役目だ。
次回、親をやめるということについて、さらに深く書いてみたい。