人生すべては自分の解釈次第である

少し前までは、外の世界に自ら出向きいろいろな情報を集めに行っていた。

今は、時間や労力を使って集めに行かなくても瞬時に素晴らしい情報が入ってくる。

口を開けていれば餌が自動的にもらえるみたいな感覚だ。

何の苦もなく考えることも悩むこともなく、ただただ情報を選ぶだけだ。

すべての情報はネットの中にあるので自分の中に知恵として蓄積するは必要はない。

 

これが進むと人間はどうなっていくのか。

あまり深く物事を考えなくなる。

外に情報を集めにいかなくなるので外界とのふれあいが少なくなる。

生身の体験をしなくなる。

つまり、自ら見て感じて肌で知っていくのではなく、誰かの情報を読むだけなので実体験が少なくなる。

また、社会的に力のある人のことをあまり重要に見なくなる。

他人を軽く扱うようになる。

カリスマや素敵な人に憧れることがなくなり、あえて自分を磨こうとしなくなる。

他人を上に見ることもない代わりに他人を尊敬することもなくなる。

人と人とのつながりが薄くなっていく。

知っている人は知っているが知らない人のことは全く興味がなくなる。

自分のこともあまり大事に思うことがなくなり自分の感覚が薄くなっていく。

人間的ではなくなり、人として退化していくのではないかと危機を感じる。

 

若い人は長い文章を読まなくなり日本語の読解力がなくなり考える力が身につかなくなるなど、まして、人と話し合ったりしなくなると思うと何かとても怖い未来を想像してしまう。

映画で観たことがあるが、人間が作ったロボットがこの地球を汚染しダメにしているものは何か?を突き止めたら人間だったとわかり、地球の汚染源である人間をひとり残らず抹殺するという内容であった。

 

この時代が自滅に向かっているのかもしれないと、今一度危機感を持ち、ひとりひとりが自分や子孫の幸せについて考え直すことは重要である。

ネットの情報を見るのではなくひとりひとりが自らの力でどうやって生きていったらみんなのためになるか、そのために誰と何をしたらいいのかを考えてみるという当たり前なことに時間を使いたい。

我々は何れみな死ぬことになるが、この地球や日本に生まれてくる人は続いていく。

だからこそ、この地球に住みにくくなるような環境を残していけない。

自分は子孫のために何ができるのか?

自分も含め特に老人にはそれを考えてほしい。

何でもいいから知恵を絞って今までの人生で学んだことを後世に伝えていくことに時間を使いたい。

精神的に悩んでいる人の話を聞いてあげるだけでもいい。

いくつになっても若い人のためになるようにかっこいい背中を見せていきたい。

 

人生はすべて自分がどう解釈するかで決まる。

 

最近の私は孤独というものを味わっている。

これは寂しいことだと思うかもしれないが、私には意外と大事な時間となっている。

周りの人はあの人いつもひとりでかわいそうと思うかもしれないが、本人は有意義な時間を送っている。

つまり、孤独さえ、本人の解釈次第ということになる。

それでも、私がいくら人生は解釈次第だと思っても、時には落ち込み苦しみ抜くこともある。

夜、眠れない時に孤独を感じ心細くなることもあるが、そんな時はなぜか・・・あ~あこんな時間に病院で苦しんでいる子どもがいるかもしれない、痛みを抱えている人や何かで心に傷を負った人がいるかもしれないと想いを馳せてしまう。

私たちは集合意識でみな繋がっている。

だから、自分だけがかわいそうということはない。

自分が落ち込めば、周りで誰かが同じように苦しんでいるかもしれない。

そう思った時、自然と自分をかわいそうに思わなくなる。 

「あ~自分はひとりだけど、ひとりじゃない、人は繋がっているんだ」という感覚になるのだ。

 

♥人生すべては自分の解釈次第という心が軽くなるお話しでした。