ネガティブな信じ込みを手放すとパラレルワールドに移行できる?

ネガティブな信じ込みを手放すとどうなるか?

まずは気持ちが楽になる。

オーラが明るくなる。

しかし、残念なことにネガティブな信じ込みというのは自分でなかなか気づけないものだ。

なぜなら、ネガティブな信じ込みは長い間人の体にすみつく寄生虫のような存在だからだ。

 

それでもふとこの厄介な存在に気づくことがある。

自分の中に違和感を感じる。

ところが、たいていの人はこのまま知らん顔して気づかないふりをする。

あまりに長く一緒にいるためにそれが自分の一部のように感じているのだ。

あ~気持ち悪い、このネガティブ想いを何とかしたいと願う人は多くないかもしれない。

 

私の場合、自分の中のネガティブな信じ込みは何とかしたい方だ。

この違和感に気づくと気持ちが悪いからだ。

ネガティブな信じ込みというのは、古くて重くて固いエネルギーで、ヤニのような色をしている。

それを自分の中に観た時、あまりの気持ちの悪さに吐き気がするくらいだ。

 

例えば、夫が浮気をしても、それを許してしまう妻に、この妻のことを「よくできた妻だなあ。あっぱれだ」と言う人がいる。

これは権威的な男性の都合のいい考えであるが、この妻も同じように夫を許すことを良しとする。

自分は夫の浮気を許す立派な妻、できた妻だと認識するのだ。

よって、夫の浮気は目をつむり我慢する。

★しかし、実際にはこの妻は浮気夫により女としての存在(価値)を否定されている。

まして離婚など世間体が悪いと、夫婦として破堤していても「形」を保とうとする。

 

反対に夫の浮気など絶対に許さないという妻はこんな夫(男)とはこれから結婚生活を続けていく価値はない、さっさ別れて新しい男を見つけて、新たな人生を楽しもうとする。

こういう女性は古臭い考えの男性から見れば身勝手な女だと批判されかねない。

この妻は自分のあり方を大事にするので離婚という「形」を気にしないのだ。

 

形を重んじる前者の妻はこれこそ妻の鏡と思い、騒がず穏便にことを収める。

再び、夫の浮気を心配しながら、かなりのストレスを感じながら生きていくかもしれない。

我慢をし続ける妻がこれは自分のために良くないとわかるまでこの呪縛は続く。

 

「形」が大事か、まずは「中身」を大事にするかの違いだ。

 

まあ人のことがともかく・・・

まずは、人生は中身ありきだと思っている私は今、自分の心の中のひっかかりを徹底的に見直している。

もう役に立たない必要のないものや想いを断捨離している。

物については高価なものはほとんど何もなくなってきているが、精神的な過去の執着や傷はなかなか捨てきれないでいる。

 

例えば、親の呪縛だ。

身内だから・・・なんでも従いなさいという考え。

兄弟だから、親せきだから、仲良くしないといけない。

兄と弟は男だから上とか、女は口ごたえをしてはいけない、男を立てろとか・・・などなど。

私は実家では変わり者、革新的で異端児であったので家族には嫌われていた。

母はそういう私をなんとしても伝統的で古風な我慢する・あるいは、主張しない女性にしたかった。

母は私を抑えつけたいのにそれができないからと常にイライラしていた。

(私は宇宙由来の魂であったために、この次元ではまったく理解されなかった。こういう私のような仲間がたくさんいて彼らもまた周りから浮いてしまい本当のすごさを理解されないで生きているのだ)

 

とにかく、家族の騒ぎの元はなにかにつけ私のせいにされた。

たとえ私の言ったことが本当になっても私は家族に認められることはなく、結果、私は自分を責めるようになった。 

これが自分にとって、身内であることの怖さだ。 

また、子どもは自分の親に嫌われたら家に居られなくなると思ってしまう。

誰にも愛されない、理解されない、自分が悪い子だからと自分を責める、、、それは地獄である。

こんな身内なら離れたらいいのにと他人から見たらそう思うがこのような中で育つとこの親の呪縛からはなかなか逃れられないものだ。

また、何度も書いているが、血のつながりが一切ないが義祖夫母についてはあんたは他人だと言われようが私は彼らを身内のように感じていた。

結局、人は身内も他人もない、それは関係ないのだ、要は人類愛なんだと心底学んでいる。

 

 

以上のように人にはいろいろな信じ込みがある。

しかも、同じことでも人によってはまったく正反対の解釈をしている。

同じ家で育った兄は親から長男だからということで大事にされて育ってきている。

私のように親や祖父母から、つねられたり叩かれたり、叱られたことはない。

兄は身内だからといつまでも長男風を吹かせ、妹の私や亡き弟を口で使い、上から目線でものを言ってきた。

彼は私とは違い身内を良いものと捉えているのだ。

内容より形をを重んじる実家、中身がないなんで耐えられない私とは。ずーっと合わないでぎくしゃくしてきた。

今では、この違いはどうにもならないことだと、あきらめてこれを受け入れている。

たくさんの断捨離の中で、私の中で大きく変わったことは、彼らはそれでいい、そして、私はこれでいいと深く体得(納得)できたことだ。

彼らと戦うことは何もない、無理に近づかなくてもいいし、何も期待していないという状態である。

私は悪くなく、ただ私でいるということだ。

彼らとは住み世界が違うのだ。

たとえ、身内でも。。。

 

このように自分の気持ちを一つ一つクリアにさせてくると、どんどん本音が出てくる。

そして、どんどん心は軽くなり、本当の自分を想い出してくる。

もうどこにでも行ける!というくらいに軽くなっている。

 

そうだ、これがパラレルワールドを自由に移動できるという感覚なのではないだろうか・・・。